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直情的で、美談にならないジャイアンの母に対して、
父は、私と母がやり合っていても、
いつも自分が特別な地位にあるかのように我関せずでした。
そんな父がやっと少し口を開いたのですが、
印象的だった言葉は
「世の中に幸せそうな人などいない、見た事がない」
でした❗️
つまり父の世界は
「溺愛してた実母(故祖母)以外、全て敵」
のようでした
無知からというより、
“絶対に考えを変えるものか、自分の弱さを死ぬまで見つめない”と固く決めているようなのは、昔から感じることでした
発言を聞いて、私は
『最初から最後まで
(私が生まれる前から、本人が死ぬまで)
この人は家庭なんか向いていないんだ、子育てなんて無理なんだ、
(だけど心は五歳児のままでいると決め込んでいて、弱すぎて、認められないんだ)』
とはっきりと思いました。
父方の祖母との関係は、これ以上知る由もありませんが、
永遠の五歳児である父が取れない責任を、祖母はあの世から全て見ているだろう!
と感じるくらいには、母子癒着があったと思います。
(今以降の世代の人は、自分の性質に沿わないことを、世間体のために頑張ることは、減っていくと考えています)
クレヨンしんちゃんの野原一家などは、今やエリートレベルだし…

この時に父は「謝ったりしない!」と言いましたが、
母が、今まで夫婦の問題を我慢して、子にぶつけていたと、泣きながら父に伝えていたのが、収穫だったと思います。
そこで「母親=自分」という(ナリ心理学の)言葉の意味を、自分のこととして実感しました。
母→(お金のため)父に絶対服従する、バカにされおかしくても我慢する
(もっと目下のヤツにぶつける)
私→(お金のため)ブラック企業に服従する、バカにされおかしくても我慢する
(お金をかけてストレス発散しようとする)
虐待家庭出身の母は、おそらく「社会で金を稼げるヤツが人間的にも正しい、言うことがエラい❗️」
と、盲信せざるを得なかったんだと思います。
私自身、父をATMだと思ったことはなく、
むしろ、どんなに言っていることが変でも、譲歩し、過剰に持ち上げていたと思います。
それは、独裁者を崇拝するより、無意識の深いところで起きていたと感じます。
私の感覚は、呆れ果てたに近いのですが「知ってた」という状態でもあり、
説得や非難をするつもりもないが、甘やかすつもりもなく(すでに譲歩しすぎ)、
父親と私の世界は違うものであり、責任を負えませんよ、と一線を示すものとなりました。
“ボクチャン、カワイソウ”だからって、身内であっても不幸や犠牲を肩代わりできません。
まして自分でつくった家族に、いくら八つ当たりしたところで、根本的には何も解決しません。
自分自身や自分の外側に“嫌がらせ”フォトンを放っているのに、
外から“優しさ”フォトンが返ってくることはありません。
直接質問し、ご回答いただきましたm(_ _)m
