今日は真夏日とのことです。
外はさぞかし暑いことでしょう。
熱射病に注意して下さいね。
僕は病院の机の前にすわっています。
適度に空調が効いているので快適です。
仕事なので、快適なのは勘弁してやって下さい(笑)
さて、今日は少しだけ富と名声の話をしたいと思います。
年間100人以上もの方々の最期を見届けて
おりますと、人は最後に必ず死ぬのだなと、
そういう当たり前のことを日々実感します。
そして、当たり前のことですが、
富や名声は墓場に持って行くことは出来ません。
幸運にもそれらを手にしたとしても、
最後にそれを手放さざるを得ないのです。
どんなにしがみついても、手のひらからこぼれおちる
それらを止めることは出来ません。
持っているが故に、執着する、そういう部分もあります。
何も持っていない人間の方が、心は涼やかです。
何でも持っているからこそ、失うことを恐れ、
死がとてつもない脅威となるのです。
富や名声が、必ずしも、死の前に己の道を振り返ったときに
救いになるとは限らないのです。いや、むしろ、逆の
場合さえあります。
では、何が自分の死出への道を救うのでしょうか?
それはやはり「生きたという実感」でしょう。
もちろん富や名声も生きた実感として感じられる
方もいるに違いありません。しかし、より実感できること
それが各々にあるのではないでしょうか。
人は必ずしも善ではない存在ですが、
一方でどんな人間も「美しく生きたい」そういう
欲求が備わっていると思います。
美しく、正しく生きようとし、またそれを達成する
ことは、たとえその旅路が半ばで終えることになった
としても、生きた実感は充足されるものと僕は思います。
残念ながら人間は醜い部分もまた有しています。
嫉妬などは特に哀しい人の悪徳です。
嫉妬を表した人の相は、目は据わり、顔が
歪んでいるものです。
例えば、悪口を言ったり、ねたんだりしたところで
心は癒されるでしょうか?
一見、憂さ晴らしが出来る気がします。
しかし、そのような人がそれで救われることはきっと
ないと思います。それは対症療法にすらなり得ないのです。
何百も事例を見てきていると、間違いなくそう思います。
自由に発言できるようになった、便利な社会だからこそ、
人間の悪徳が露悪される機会も増え、我々は真価を問われて
いるのだと思います。
このまま終わりのない妬みや、表層的な成功の繰り返しを
続けて未来永劫救われないのか、あるいはどこかでその
連鎖を断ち切って、次の段階に進むのか。
僕は多くの人が、救われてほしいと思います。そのためには
心の修行が大切だと思うのです。それが成れば、
きっと死出の道もより穏やかなものとなるでしょう。
言葉も、悪意のある方にかかればねじ曲げられてしまう。
そんな悲しい世の中でもあります。こんな時代だからこそ
自分も含め、皆が正しく生きることが求められていると
思います。
外はさぞかし暑いことでしょう。
熱射病に注意して下さいね。
僕は病院の机の前にすわっています。
適度に空調が効いているので快適です。
仕事なので、快適なのは勘弁してやって下さい(笑)
さて、今日は少しだけ富と名声の話をしたいと思います。
年間100人以上もの方々の最期を見届けて
おりますと、人は最後に必ず死ぬのだなと、
そういう当たり前のことを日々実感します。
そして、当たり前のことですが、
富や名声は墓場に持って行くことは出来ません。
幸運にもそれらを手にしたとしても、
最後にそれを手放さざるを得ないのです。
どんなにしがみついても、手のひらからこぼれおちる
それらを止めることは出来ません。
持っているが故に、執着する、そういう部分もあります。
何も持っていない人間の方が、心は涼やかです。
何でも持っているからこそ、失うことを恐れ、
死がとてつもない脅威となるのです。
富や名声が、必ずしも、死の前に己の道を振り返ったときに
救いになるとは限らないのです。いや、むしろ、逆の
場合さえあります。
では、何が自分の死出への道を救うのでしょうか?
それはやはり「生きたという実感」でしょう。
もちろん富や名声も生きた実感として感じられる
方もいるに違いありません。しかし、より実感できること
それが各々にあるのではないでしょうか。
人は必ずしも善ではない存在ですが、
一方でどんな人間も「美しく生きたい」そういう
欲求が備わっていると思います。
美しく、正しく生きようとし、またそれを達成する
ことは、たとえその旅路が半ばで終えることになった
としても、生きた実感は充足されるものと僕は思います。
残念ながら人間は醜い部分もまた有しています。
嫉妬などは特に哀しい人の悪徳です。
嫉妬を表した人の相は、目は据わり、顔が
歪んでいるものです。
例えば、悪口を言ったり、ねたんだりしたところで
心は癒されるでしょうか?
一見、憂さ晴らしが出来る気がします。
しかし、そのような人がそれで救われることはきっと
ないと思います。それは対症療法にすらなり得ないのです。
何百も事例を見てきていると、間違いなくそう思います。
自由に発言できるようになった、便利な社会だからこそ、
人間の悪徳が露悪される機会も増え、我々は真価を問われて
いるのだと思います。
このまま終わりのない妬みや、表層的な成功の繰り返しを
続けて未来永劫救われないのか、あるいはどこかでその
連鎖を断ち切って、次の段階に進むのか。
僕は多くの人が、救われてほしいと思います。そのためには
心の修行が大切だと思うのです。それが成れば、
きっと死出の道もより穏やかなものとなるでしょう。
言葉も、悪意のある方にかかればねじ曲げられてしまう。
そんな悲しい世の中でもあります。こんな時代だからこそ
自分も含め、皆が正しく生きることが求められていると
思います。