大津秀一です。
まず僕が今回の「死ぬときに後悔すること25」を
出版させて頂いた致知出版社のブログからの
引用です。
内容はニューヨーク大菩薩禅堂金剛寺住職の
嶋野榮道先生の講演会のご報告でした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※【愛語の力】とは…
1964(昭和39)年の大晦日、
ひとりの禅僧がニューヨークに降り立った。
三度の食事にも困り、就職も考えた。
その時、師匠の言葉が甦った。
「もし本当に法のために心身を捧げるなら、
法のほうからやってくる」
毎朝四時に起床。
読経と掃除を欠かさず行った。
はからずして人が集まり、お金に困ることはなくなった。
素晴らしい人たちとの出会いもあった。
かつて、「ハドソン川の水が澄んでも、
アメリカに禅寺が建つことはないだろう」と言われたが、
いま、ニューヨークには二つの禅寺が建っている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上です。
短い引用ですが、僕が印象に残ったのは
「もし本当に法のために心身を捧げるなら、
法のほうからやってくる」
という言葉です。
医療も同じだと思います。
もし本当に患者さんやご家族に、正しい医療に身を
捧げんとするならば、必ず患者さんやご家族との
距離は近付き、(絶対ではないですが)望ましい
医療が自ずとなされていくのではないかと思います。
ふと僕が思ったのは、
「もし本当に医のために心身を捧げるなら、
医のほうからやってくる」
ということです。あるいは医を患者さんという言葉に
変えても、この文は成り立つと思います。
「もし本当に患者さんのために
心身を捧げるなら、患者さんの
ほうからやってくる」
患者さんのことを第一に思い、医者としての
技術と心を捧げようとすれば、きっと良い医療が
出来るはずだし、逆に不純物だらけで患者さんを
思っていない場合の医療のメッキは、自ずと
はげ落ちてゆくのだと僕は思います。
その人の人生の支えとなるような、
良い医療がしたいものです。
まず僕が今回の「死ぬときに後悔すること25」を
出版させて頂いた致知出版社のブログからの
引用です。
内容はニューヨーク大菩薩禅堂金剛寺住職の
嶋野榮道先生の講演会のご報告でした。
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※【愛語の力】とは…
1964(昭和39)年の大晦日、
ひとりの禅僧がニューヨークに降り立った。
三度の食事にも困り、就職も考えた。
その時、師匠の言葉が甦った。
「もし本当に法のために心身を捧げるなら、
法のほうからやってくる」
毎朝四時に起床。
読経と掃除を欠かさず行った。
はからずして人が集まり、お金に困ることはなくなった。
素晴らしい人たちとの出会いもあった。
かつて、「ハドソン川の水が澄んでも、
アメリカに禅寺が建つことはないだろう」と言われたが、
いま、ニューヨークには二つの禅寺が建っている。
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以上です。
短い引用ですが、僕が印象に残ったのは
「もし本当に法のために心身を捧げるなら、
法のほうからやってくる」
という言葉です。
医療も同じだと思います。
もし本当に患者さんやご家族に、正しい医療に身を
捧げんとするならば、必ず患者さんやご家族との
距離は近付き、(絶対ではないですが)望ましい
医療が自ずとなされていくのではないかと思います。
ふと僕が思ったのは、
「もし本当に医のために心身を捧げるなら、
医のほうからやってくる」
ということです。あるいは医を患者さんという言葉に
変えても、この文は成り立つと思います。
「もし本当に患者さんのために
心身を捧げるなら、患者さんの
ほうからやってくる」
患者さんのことを第一に思い、医者としての
技術と心を捧げようとすれば、きっと良い医療が
出来るはずだし、逆に不純物だらけで患者さんを
思っていない場合の医療のメッキは、自ずと
はげ落ちてゆくのだと僕は思います。
その人の人生の支えとなるような、
良い医療がしたいものです。