人は自分という器がある以上、それを超えて考えるのは
難しいと知っています。
しかし、しかし、しかし。

昨日、大前研一氏の『「知の衰退」からいかに脱出するか?』
という本を読みました。共感するところがとても多かったです。

大前氏は自らの頭を使って考えようとしない現代日本人を嘆き、
それを変えるには一人一人がもっと頭を使って考える必要があると
様々な論拠を示しながら説いています。

僕も頭を使って考えていない方が(残念ながら)多いのでは
ないかという意見に賛成です。あるいは考えるのに必要な
情報を自ら集めることに熱心でない方もまた、少なくありません。
(自戒も込めて書いています)

僕の仕事は、
「どうやったらこの方の終末期が
より良いものになるのか」

それを考える仕事でもあります。
必然的に、様々なことを考えます。

このオーダーメードの医療は、
もちろんマニュアルで紋切り型に答えが出るものではないし、
日々皆で考え、悩み、その結果として浮かび上がってくる
こともあるし、最後まで答えが出ないこともある、
そのようなものです。
とにかく考え尽くさないと、なかなか
患者や家族の真の気持ちに寄り添い、
なおかつ専門家としての見地から最良の
選択肢を提示する、それが出来ません。

常にスタッフに言っているのは、
「誰が言っているかではなく、
内容で判断するべし」
「広い視野を持つべし」

この2点です。

人は残念ながら、言った人が誰かでその言葉の扱いを
変える習性があります。嫌いな人間が正しいことを言っても、
即座に感情的反発から否定しがちです。これはいけない。
きちんと感情論ではなく、理を尽くして考えなければ
いけません。一方で、もちろん、情を重んじることも大事です。
しかし、人の好き嫌いで正誤を判断するなどもってのほかです。
また偉い人におもねて、そのような人の意見だけ聞き、賛成し、
現場の意見をないがしろにする人もいます。
これも論外です。

もう一つは、右から左へと話を伝達するだけの存在には
ならないでほしいということです。
話を伝えるだけなら、機械と同じです。
情報を受け取って、どう考え対処するかが大切なのです。

例えば、患者さんが「死にたい」というと、
「ああ、死にたいんだな」
と思うだけではダメなのです。

なぜ、死にたいのか。
この気持ちは改善される余地はあるのか?
死にたいは本当に死にたいのか(そういうことを言って
心のバランスを取っているのではないのか)。
家族は患者の気持ちをどう思っているのか。
いつから死にたいと思っているのか。きっかけはないのか。
などなど。
いくらでも考えるべきポイントが思いつきます。

これをただ「○○さんは死にたいんだな」と考えて
誰かに伝達するだけで仕事をしたというのは
実はプロの仕事ではないのです。
あるいは「じゃあ患者の意思を尊重して
眠らせよう」等と即断するのは非常に非常に危険なことです。
表面的な事象に囚われ過ぎて、その深奥にある真実を
探すことを止めてはいけません。

しかし、上記の2点はトレーニングで間違いなく向上します。
なぜなら僕でさえ、鍛えられたからです。
しかしまだまだ、冷静かつ広い視野で物事を
見ることが出来る人材は多くありません。
なので皆がもっともっと努力しなければいけないと思います。

新型インフルエンザにおいても、
医療機関は単なる発熱と考えられる患者の診療を拒否し、
元から自分がことをおおごとにしている部署はそれを責め、
メディアは毎日紋切り型の
「○×(場所)で新型インフルエンザ疑いの人が発生」
の報道を繰り返しています。

冷静に、広い視野をもって考えれば、
これらの人々の思考がどれほどの深さをもって
なされているのかが、はっきりとわかることでしょう。

大前氏が言うように、
もっと考えるべきです。
医療界も、その例外ではありません。