人間がどうしようもないバカ(自分も含めて)だなあ
と感じることのもう一つに、
「失わないとその大切さがわからない」
というものがあります。

人はなかなか、身近な幸せを幸せと認識できません。
場合によっては、大切な身近な人を粗忽に扱って
しまい、後悔することもあると思います。

実際終末期となり、初めてそれを知った方も
たくさんいました。
配偶者や子供は大変素晴らしい存在です。
あるいは共に働いている先輩・同僚・後輩も。

自分だけの視点で見ていると、
誰それのここが気に入らない、あそこが気に入らないと
なりがちで、遠くの芝生が青々と輝いて見えるものです。
自分の身近な誰かと比べて、よく知らない誰かは
ずっと素晴らしい人間のように見え、
また自分の所属しているコミュニティ、例えば職場などと
比較して、別の職場の方がもっとよく映ったりします。

けれど、いがみ合う家族も他人の目から見れば
「一つの家族」なのです。いがみ合う職場の人たちも
他の会社から見れば、「○○社の人」なのです。
いがみ合う日本人同士も、外国人から見れば
「日本人」なのです。戦争しあう地球人も、
宇宙から見れば、塵のような小さな星の上で
生活している一つの「地球人」なのです。

物事を見るときには、虫の目、鳥の目、魚の目が
必要とどこかで聞きました。
虫の目はクローズアップして見る目。
これは実は多くの人が持っています。

それ以外の
鳥の目、・・夜盲ではないですよ(笑)
つまり全体を俯瞰してみる目、
魚の目、それは水流の流れを見る目、
つまり時間の流れと物事の移り変わりを
判断する目、を持っている人は実はそれほど
多くはありません。

僕は皆が、「鳥の目」を持ってもらい、
俯瞰したときに、
皆さんの側の存在がどのように映るか
考えてもらいたいのです。
そしてまた「魚の目」を持ち、皆さんの側の
存在がいなくなったらどうなるのかを
考えてもらいたいのです。

側にいる人の価値を再確認しなければ
ダイヤもただの塵にしか見えないでしょうし、
逆ならば、毎日宝物に囲まれた気分となるでしょう。

とにかく側の存在の価値を見失わないことです。
簡単なようで、凡夫である人間にはなかなか至難な技です。