死にたい。

終末期のきれいごとばかりではない現場では
非常によく聞かれる言葉です。

ただ一つ強調しておきたいのは
「死にたい」には
理由がある
ということです。

ゆえにもし患者さんが「死にたい」と言ったときは、
家族や医療者はそれで右往左往するのではなく
あるいは「何言ってるの! ダメよ、絶対」と
一蹴するのではなく、
「どうしてそう思うの?」
と冷静かつ中立な立場で聞かなくてはいけません。

例えば死にたいという患者さんを殺してしまった
家族の話なども耳にします。
あるいは病院でも死にたい死にたいと
毎日おっしゃる患者さんに対して鎮静(眠らせて
苦痛を取ること)するべきだとの意見が
安易に横行することもあります。
その前に、「なぜ死にたいのか」それを周囲は十分
検討しなければいけません。

もしそれが痛みによるものだったら、
それは軽減できる可能性があります。
がんの末期で苦しくて死にたい方は
ぜひ緩和医療医の門を叩いてほしいと思います。
苦痛は和らげられ、死にたいと思わなくなるかも
しれません。

またもし、生の意味が無目的に感じられる場合でも、
もしかすると「うつ」になってそう感じている
場合もあります。うつが治れば、死にたいと
感じなくなるかもしれません。

いずれにせよこのような見極めには
それなりの経験が必要です。
熟練の医者らの判断を仰ぐべきだと思います。

よく一部の方が見失いがちなのは
「人の心は揺れる」
というところです。
さっきまで死にたいと願っていた患者さんが、
入浴する、おいしいものを食べる、
孫が会いに来る、そんな
ふとしたきっかけで
「生きよう」と思うことも
稀ではありません。

人の気持ちは変わるものなのです。

そこを重んじない家族や医療者は失敗します。
「死にたいと言っている。その気持ちに
従うべきだ」あるいは「死にたいということは
とても苦しいに違いない。一刻も早く
眠らせて楽にしてあげたい」などということ
を主張する前に、「人の気持ちは変わる」という
当たり前の事実をかみしめ、患者さんの気持ちを受け止め、
いかにしたら現状の生に意味を見いだし得ない状況を
改善することが出来るのか、それを最後まで
一生懸命考えねばならないのです。

死にたいという言葉は、
SOSの信号なのです。
そしてその信号は、家族や
医療者にたくさんのことを
学ばせてくれます。