来月叔父の七回忌を迎えます。

時間が過ぎるのはあっという間のことです。
もうそんなになるのか、と驚きました。

生きていたら五十歳を超えました。
けれども叔父の時間は四十代前半で
止まっています。

僕が十代の頃、よく西日暮里の叔父の下宿に
水戸から泊まりに行ったのを覚えています。

彼はちょうど今の僕と同じくらいの年齢で、
まだ独身でした。その頃は学者の卵をしていました。
叔父は博学で、のちに知ったのですが、
それはひたすら勉強が好きだったからでした。
おそらく水面下では血のにじむような努力を
していることも、知りました。

彼の狭い下宿には、本がたくさん積み上げられ、
また集めてきた資料がこぼれそうで、
寝食を忘れてそれらを読んでいたことを
昨日のように思い出します。

僕が小学校五年生の頃から、冷戦について何時間も
教えてくれたりとか、東西の歴史についても
どれだけ質問しても嫌な顔一つせずに答えてくれたりとか、
とにかく子供だからといって手抜きをするような
人ではありませんでした。

今思えば、彼の英才教育(?)があったからこそ、
人のなりわいや営み(彼は政治学者で、特に歴史に
造詣が深かったのです)に今も深い興味を持つ
下地を作ってくれたのだと思います。

叔父の実家(母の実家)は自営業ですし、
うちも親は教師で、ごくごく普通の家庭に育ちました。
奢侈さもなければアカデミックな感じもなく
そんな僕にとっての学問をする素地を作ってくれたのが
まさに叔父であったと思います。

やはり僕は今でも実践家であって、学者では
ありませんが、学問をすることの楽しさと大切さを
教えてくれたのが叔父だったのです。

彼は命尽きる時まで、学問の夢を抱いておりました。

僕は医者となり、多くの三人称の死と、
そして叔父つまり二人称の死を経験しました。
家族の死、それはやはり大きなものでした。
一方で、非常にたくさんのことをそこから学びました。

残念ながら、もっとたくさんのことを学びたかった
叔父はもうこの世にはいません。
だから、自らが今は、学び考え進む時なのだと思っています。

命尽きる時まで、精進し、実践していきたいと思います。
目指す究極は、皆が後悔が少ない穏やかな最期を迎えられること、
皆がよき一生を送れること、その手助けがしたい、
そこに尽きると思います。