こんにちは、亜希です![]()
夫(妻)と歩いていたら
こちらのペースなどお構いなしに
スタスタと先に行ってしまう
そんなことがあったら
どう思いますか?
自分のことしか考えていないんだな
周りが見えないんだな
合わせようとか思わないの?
私のことはどうでもいいのかな?
そんなふうに思うことも
あるかもしれません
自分が周りに気を配れたり
自然と合わせてあげたりする人なら
なおのこと、意味がわからない
と感じるとも思います
合わせるのが普通でしょ?
それくらい気づくでしょ?
なんでわからないの?
そうなのです…
私には相手のことはわからないし
相手も私のことはわからない
そうであるならば、見つめるのは
私には《あなた》がわからないと思う
その奥にある《自分》の気持ち
お互いの見ているもの
理解や納得できる範囲や正しさは違うのだから
わからないものはわからないまま
相手を正さずに変えないまま
それぞれがそのままでいいのですね
わからないは一旦横において
自分を大事にするために
自分の気持ちを伝えていきます
あなたが先に行くと
置いていかれる気がする
どうでもいいと思われている気がする
寂しいし、悲しい
でも、あなたが歩くスピードが速くて
私はついていけない
だから、一緒に歩いてもらえたら嬉しい
私はあなたが一緒に歩いてくれたら安心する
本当に伝えたいことはシンプルです
あなたと一緒に歩けたら嬉しい
あなたと一緒に歩けたら安心する
無意識に、自分にできることは
相手にも簡単にできると思っています
そんな簡単なことを私にしてくれないの?
と見えているとしたら
私なら気づくこと、当然やることを
相手はしてくれない
↓
私は大事にされていない
大事にしてくれない相手に傷つくし
その相手を責めたくもなります
でも、冷静に考えると
身体的に歩幅も足の長さも違えば
自分の歩きやすい速さやリズムも違う
みんな歩くペースは違います
出来事をフラットに見れば
自分の歩き方で歩いていて
歩くスピードが違うだけ、なのですね
自分は大事にされていない
どうでもいいと思われている
それは、自分の捉え方で
自分に見えているものなのです
「なんで合わせられないの?」
「私はどうでもいいの?」よりも
「一緒に並んで歩きたい」のほうが
気持ちが伝わりやすく
相手も受け取りやすいことは
なんとなくわかっていただける気がします
うちの場合は、夫は運動が好きなので
気を抜くと歩くのが早くなります
だから、毎度毎度、引き止めます
「私が一緒に歩きたい」
ただ、それだけなのです

夫も子どもも、家族みんな
誰一人私と同じ人はいなくて
そうであるならば
考え方も見えているものも違います
「大切にされない」
「わかってもらえない」
そんな出来事も
今は複雑に見えているだけで
本当はもっとシンプルなのかもしれません
相手に向けている「なんで?」の奥にある
自分の気持ちを見つめてみてください
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