こんにちは、亜希ですハート




子どもに色々話をしてもらいたい

けど話してくれない


話しかけるけど「別に」「普通」

みたいな返事しか返ってこない



そんなことはありますか?




うちの親子の会話といえば

子どもが一方的に話してきて



へ〜、ふーん、そうなんだ

それおもろいね、びっくりだね


え?どういうこと…なるほど〜

大変だったね〜


くらいの返事でこと足りてます(笑)


  


UMIを通り過ぎると

同じようになるように感じますが



「でも」「だって」「それは」


みたいな否定もしないし



「こうしたらいいんじゃない?」

「お母さんの時は〜だったから」


みたいなアドバイスもしない

(聞かれたときは別)




基本、聞き姿勢で

めっちゃ受け入れます




受け入れてもらえると感じられると

子どもは勝手に話に来るのですね



帰ってきて

「疲れた〜」から始まって

好きなだけ話して



話すだけ話したら勝手にどっかにいくし

話したいことがあれば呼ばれます




小学生も中学生も年齢は関係なくて

「お母ちゃ〜ん、ちょっと来て!」

と呼ばれるか、自分できます




それに、うちの子どもは

多分聞いてもらえると思っているから




途中で夫に話しかけられたりして


私に聞かれていないと感じたら

「ちゃんと聞いて」

とはっきり言われます(笑)




大人も同じだと思うのですよね


聞いてほしいのに


アドバイスされたり、話し終わる前に話を取られたり(最後まで話せなかったり)したら



「もういいや」

「どうせ聞いてもらえないし」


みたいな気持ちになってもやっとするし

話す気をなくしませんか?




あとは、今全然別のことをしているのに

よくわからない確認をされたりしたら


自分側は話すタイミングではなくて

特に返事をする気持ちがわかないというか


「今じゃない」「あとにして」

と思いますよね




私自身、親に「でも」「だって」「それは」と言われて話す気をなくして育ったのに


過去の私も

他人との会話で同じことをしていました




ただただ聞くのではなくて

思わず、悪気なく、つい


反論とか否定のような言葉を言いたくなるのは


普段から脳内で自分の気持ちに

反論や否定をしているからです




「疲れた」と思っても


「このくらい疲れたうちにはいらない」

「まだまだやれるはず」


「ほかの人はもっとできてた」

「やらないとサボりになるんじゃない」


「ダメなやつだと思われるよ」

「疲れたと思うのは良くない」



脳内の自分が、「疲れた」自分の思いを

受け入れられていないのですね



自分の中の《べき・ねば》が強すぎたり

自己否定する捉えグセがあったりすると


そのままを受け入れる

ということをしていません



自分にできないのに他人にだけできる

ということはないのです




それに、そもそもの

「子どもに聞きたい」理由は何でしょうか?


子どもに聞かないと、何かがわからないと

どうなるのでしょうか



子どものことを知りたいのは

親として当たり前


そんな気持ちもありますが




子ども本人が話す気がないなら

(自分から話してこないなら)


待つ選択肢もあります



もし、待てないとしたら


そこに親自身の《安心したい》気持ちが

あるのかもしれません




そうだとしたら、注目するのは


親側の《安心したい》など気持ちで

何が不安で、何が心配なのかで


自分の内側を見て、自分の不安な心配

その奥にある気持ちに気づくこと




だから、私は聞きたかったんだ

それを知ることのほうが大切で



子どもから聞き出すだけでは

一次的な解消にしかならないのです




子どもに話すかどうかも

話すタイミングも


任せておけない何かが

自分の中にあるのですね



1人1人、その何かは違いますが

それがわかるとスッキリします




そして

子どもに任せられるようになると


勝手に子どもが話してくれますから

親自身が楽になります



親元にいるうちに、信頼し合える親子関係を

作れたらと思いますが



いつからでも遅くはなくて

気づいたときがスタート地点だと思います




最後まで読んでくださり

ありがとうございますお願い


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