【どっちの方が偉い?】人生の引き算の法則 その2 | 毎日がミラクル☆セドナ❤️奇跡の大地から:ガイアの愛をあなたに☆

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A君をまず最初に連れていったのは、川辺だった。

私達は川の流れに沿って少し歩いたところで
岩の河原に腰を下ろした。

一枚岩のレッドロックは、柔らかな陽射しを受けて
肌のぬくもりのように温かい。

目の前を流れる透き通った水は秋の光を反射させ、
小魚たちがゆらめく青空の中に遊んでいるように泳いでいる。
 
渡る風にさざめく木々の葉擦れの音や、
清らな水が流れるせせらぎの音。

その合間を縫うように小鳥のさえずりが聴こえて来る。

私達は、そこで言葉も交わさず、ただそこに座っていた。

私とA君の間に流れているのは、
人間の存在など関係なく流れて行く自然の営みの音だけだった。

こうして、自然は、私達がそこにいてもいなくても、
命の循環をたんたんと繰り返している。

その命の循環の中に、私達も存在している。

自然の中にいると、私達はその大きな流れの中で、
小さな自分を存在させるしか他ない。

意識的であれ、無意識的であれ、
私達の体がそれを受け止めるのだ。

私達は黙ってその静寂の音を体に染み込ませていた。

少し緊張がほどけてきたのだろうか。

A君はしばらくすると、そばにあった小さな石ころを
掌の中でころがすように手に取ってはそれを下に置き、
また別の石ころを手に取り始めた。

しばらくその様子を観ていた私はA君に小さな声で聴いてみた。

「石、さわるの、好き?」

A君は小さく頷くと言った。

「気持ちいい」

A君の口元がほんの少し微笑んだような気がした。

それは「そんな気がした」というほどの
かすかな微笑みの兆しのようなものだった。
 
私はA君が手に取っては岩の上に戻した石ころ二つを
選んで私達の間に並べた。

「ねえ、どっちの石の方がえらいと思う?」

A君は何を言われているのか分からない様子で、
一瞬私の方を見てから石に目を落とした。

「・・・・・」

しばらくの沈黙のあと、彼は首を傾げてつぶやいた。

「・・・・さあ」

私の質問は突拍子もないものだったから、
まあ、そういう反応は当然のことであったでしょう。

「じゃあ、どっちの石の方が好き?」

私は質問を変えた。

A君はこの質問にはちょっと安心した様子で、
二つの石を見比べて言った。

「・・・こっち」

彼は右側の石を指差して言った。

「私もこっちの石の方が好きだな。」

私も彼が選んだ石を指差して言った。

「なんでこっちの石の方が好きなの?」

少しの間があって、A君は答えた。

「・・・なんとなく」

「私も、なんとなく」

そう言って私は笑った。

A君もかすかではあったが、
今度は微笑みと名付けてもいいほどに口元を緩めた。

「そうなんだよね。なんとなく、なんだよね。
理由がはっきりある時もあるけど、ない時だってある。

どっちの方が好きかって聴かれたら、
こっち、って言えるけど、でもそれは、
こっちの方が値うちがあるとか、偉いとか、
そういうことじゃなくて、
なんでかわからないけどこっちの方が好きって感じでしょ?」

A君はじっと私の言葉に耳を傾けていた。

私の一語一語を彼なりに咀嚼しようとしているのが感じられた。

「ダイヤモンドとこの石っころと比べたら、
普通はダイヤモンドの方が価値がある、って思うよね。

でもね、どっちの方が好きって聴かれたら、
こっちの石の方が好きって言う人もいるかもしれない。

それに、この石に何かの想い出があったりしたら、
この石はその人にとってはダイヤモンドより価値がある。

だから、ダイヤモンドの方が偉いわけじゃないよね。

ただ違うっていうだけでしょ?」

その時、その場で、考えるともなく出て来た想念を、
私は即興演奏のように、
しかしゆっくりとした口調で言葉に変換していった。

「こっちの石とそっちの石、どっちも似たようなものだけど、
形も違うし、色も違う。

私達もこの石っころみたいなもんなんだよね。

みんな違うっていうだけなの」


町中にいると、人間だけが生き物のようで、視野も狭くなる。

しかし、大自然の中では、
私たちも一つの命として存在しているだけ。

そんな中にいると、地位や名誉や名声や、
どれほど知識をもっているか、
どれほど金を持っているかなども、
なんだかとても小さなことに想えて来る。

この小さな石がその形をもって、その石であるように、
この小さな花がその形をもって、その花であるように、
この小さな私もその形をもって、私である、というだけ。

ああ、自分は自分でいていいんだ、ということを
頭ではなく、軀が感じる。


押し付けられて来た「こうあるべき人間像」は
そのままの自分でいていいんだ、と
頭でなく、体感できたとき、自然と抜けて行く。

それは「太陽と北風」の話のように
本来の自分でいていいよ、という暖かな陽射しで照らしたとき、
自然と着込んでいたコートを脱ぐようなもの。

その後、さらにA君は変わっていった。
自分自身でいていいのだ、ということを体感し、
自分を信じてもいいんだ、ということを感じ始めたのだろう。


A君との会話は、とてもシンプルだった。
それが彼の心に届いたのだと想う。

そしてなにより、セドナの大自然の大きな愛が
彼の魂に届いたのだと想います。

自分を信じる=自信を持つ

というのは、自信を持とう、
と想って持てるものではないでしょう。

自信=自分を信じることは、
思い切って、押し付けられて来た「こうあるべき人間像」を捨て
あるがままの自分を生きた実感から生まれるもの。

バカボンのパパのように(笑)
「これでいいのだ!」という生き方が出来たとき、
自信が生まれる。

A君はどんどん表情が出て来て、笑うようになった。

お母さんから5年ぶりに見る笑顔だと言われました。

引きこもりだった彼が、三日間で変わった。

こんなにも人は一瞬で変われるのか、と想うほどに。



私もA君から学ばせてもらったことがたくさんある。

素晴らしい可能性を見せてくれて、ありがとう!




この後日談はいつかまた・・・