15歳のときでした。
私の世界観に大きく影響した小さな出来事がありました。
私は空想癖があって、なにごともとろかった。
(まあ、今でもそうですが。笑)
ある日、母から洗濯を頼まれて、洗濯機に洗濯物を入れたところまではよかった。
そのころの洗濯機は、別に蓋を閉めなくても回るものでした。
それで、私は洗濯機が回る渦に見入ってしまって、
その水の渦から大海原の冒険旅行の話を想像したりして、
また空想にふけってしまった。
それで、お母さんに怒られた。
「時間をもっと有効につかいなさいよ。
そんなところでぼおっとしてないで、
洗濯機のそばについていなくったっていいんだから、
その間に部屋を片付けるとか。
本当に時間の使い方がへたなんだから」と。
まあ、それはそうですよね。たしかにそうです。
で、その時、たまたま、そこに居あわせた父が私に言ったんです。
「まあ、ママはああ言うけどね、人間はだれでも欠点や弱点があるもんだ。
完璧な人間などいないんだから。
だから面白いんだよ、人間ってやつは。
欠点や弱点っていうのは見方を変えれば、
その人の人間としての味というか、魅力なんだよ。
だから、無理に自分を変えようとしなくてもいい」
私はそのとき、決定的に、自分らしくいていいんだ、
ということの許可をもらった気がしたんですね。
そして、それ以来、私は誰のことでも、
良い悪いは別として、様々な側面を持った
「人間」という生き物として観察するようになった。
自分自身のこともね。
他の人に対して、もちろん、好き嫌いというのはありますよ。
でも、ある人のある部分を見て、
その人そのものを否定する、あるいは肯定する、
というではないんです。
ただここに水が半分入ったコップがある、と観るだけ。
半分しか入っていない、と否定的に観れば悪く想える。
半分も入っている、と肯定的に観れば良く想える。
でも事実は、そこに半分の水が入っているコップがある、
というだけなんですね。
その状態をどうみて、それに対して自分がどう感じるか、
というにすぎない。
人に対しても同じ。
私が相手をどうみるか、ということも
相手が自分をどうみるか、ということも
それぞれの問題なんですね。
何年も前ですが、ある人が私のことを
悪魔のような女だと噂していました。
その人は私の友達に、彼女が友達であることを
知らずに話したんです。
それで、彼女は、びっくりして心配して電話をくれたんですね。
でも、その時、私は笑って言ったの。
「いいよ、噂させておいて。
私のことを知っている人は気にしないだろうし、
それを信じて私を避ける人はご縁がない人だし。
私のことをどう想うかは、その人の問題だから」
人間って面白いですよね。
いろんな側面を持っていて。
相手が自分をどう想うか。
自分が相手をどう想うか。
どちらも、自分の問題でしかない。
だから、自分が自分をどう想っているか、が
しっかりしていれば、ぶれない自分とつながり、
人や状況のせいにすることもなくなるんですね。
自分がこうできないのは、○○のせい・・・
そう想うということは、自分を犠牲者にしている、ということ。
どんな状況の中でも、自分を犠牲者にしない生き方。
それは、丸のまま、自分も人も受け入れる、ということ。
神様みたいな人ばっかりだったら、世の中、面白くないんですね。
ドラマを観ていても、いろんな人間がいるから面白い。
自分の目の前に現れる人たちも
人生ドラマのいろんな役を演じているのだ、と想って観れば、
欠点も弱点も、嫌な部分でさえ人間としての味わいだとわかる。
それは、自分の感情を押さえる、ということじゃないんです。
怒り、悲しみ、ねたみ、いろんな感情を
すべて味わっていいんです。
泣きたければ、泣いていいし、
叫びたければ、叫べばいい。
ただ、そういう自分をあるがままに受け入れればいいんです。
それに対して、良い悪いのジャッジメントをしないでね。
私たちは
スピリチュアルなことを求めるために人間として生きているのではなく、
人間を体験しに来ているスピリットなんだ、ということ。
スピリットの状態であれば、みんな、神様のような状態です。
肉体を持っているからこそ、いろんな感情を味わえる。
スピリットの状態であれば、目の前のゴミを拾うことはできない。
肉体を持っているから、目の前のゴミも拾えるんですね。
肉体を持って生きている。
それだけでもう、成功なんです。
そして、肉体を持っていなければできない
いろんな体験をするためには、いろんな役目が必要なんです。
嫌な野郎だ、と想われる役をしてくれている人がいるからこそ、
私たちはいろんなことが学べる。
そういう悪役をかってでてくれた魂は、
もしかしたら、嫌な役を引き受けてくれる勇気を持った
とっても深い愛を持っている魂のかもしれない。
人間としては最低でもね。笑
しあわせっていうのはね
きらいだった人のことを好きになって
チューしてあげることよ
私が4歳の時に母に言った言葉。
(私は記憶がないのだけれど、母が日記につけていたんです)
それは、あるがままをそのままに受け入れ、愛するということ。
人と比較する必要もない。
欠点もふくめ、すべてを人間としての魅力とし
まるのままの自分を抱きしめてあげてください。
魂の旅を支えてくれているこの肉体に感謝して
自分に言ってあげてください。
大好き!
愛してる!
ありがとう!!!