ところで私は
コンピューターゲームを
最近すっかりやっていないので
(最後に真面目に遊んだのが・・・
ドラクエの・・・あれは『Ⅲ』・・・?)
(Norizoさん、それ本気で
昭和じゃないですか!)
素でわかっていない
ところがあるんですが、
eスポーツと呼ばれる
電子上のゲーム対戦で
『奇跡のような』とか
『人知を超えた』とか
『常識・前提を覆した』展開って
あり得るものなんでしょうか。
いや、ほら、なんとなく
電子ゲーム上で起きる
すべてのことは
バグを除いて何もかも
製作陣の計算通りである
ような印象なんですけど。
スポーツでは時々
「・・・何故こんなことが
可能だったんだ!」みたいな
事態を目にすることが
あるじゃないですか。
『嘘のように見事に決まった
パス回し』とか『絶体絶命
からの驚異の逆転』とか
『決定的な瞬間のミス』とか。
そこに人々は驚きを感じ
心を揺さぶられ興奮する。
私にとっては
『スポーツ』カテゴリーではない
将棋の藤井七段の
『コンピューター将棋ソフトが
6億手読んでやっと出てきた
衝撃の一手』に世間が
騒然としたのも
同じ理屈だと思うのです。
(なお『スポーツ・グラフィック・
マガジン』と自称する
『ナンバー』は将棋を
報道対象にしている模様)
その瞬間が実際に到来するまでは
誰にも予想できなかった光景を
ルールに粛々と則りながら
選手たちがそこに生み出す。
eスポーツにそういうことは
可能なのかな、と。
「スクリーン上で華々しい技を
披露してもらっても
私はその華々しさを
『グラフィック担当者の
腕がすごい』という風に
まず認識してしまうんですが」
「だからそれはNorizoさんが
そのゲームを
理解していないからです。
Norizoさんはチェス、わかります?
わからない?ならチェスの
世界最高峰の選手二人が
盤を間に向き合って
凄い試合を展開していても
誰かの解説なしには
その凄さがわかりませんよね?
それと同じことで、eスポーツの
妙技が理解できないのは
そのゲーム・ソフトに対する
理解がないからです」
「その理屈は私も
とてもよくわかります。
ただそうなると、やはり私は
eスポーツは『スポーツ』ではなく
知的ゲームの範疇だと思うんです。
何故なら優れた運動選手は
ルールを知らない観客にも
体を動かす様を見せることで
その運動能力の高さを
本能的に理解させ得るからです。
逆に将棋の名人が駒を
パチンとやっても
ルールを知らない人には
その名人の持つ
能力の凄さがわからない。
何度も言うけれど、私はこれ、
ゲームや将棋を馬鹿に
しているんじゃないんです。
むしろ知力に特化した、
地球上で人間だけが理解可能な
究極の頭脳勝負の面白さを
そういうゲームは
持っていると思います。
ただ、それを『スポーツ』と
呼んでしまうことはちょっと
違うんじゃないかと思うんです」
コンピューターゲームで
対戦をする人々のことを
『アスリート』と呼ぶよりも
コンピューターゲームを
製作する人々のことを
『芸術家』と呼ぶことのほうが
私にはまだしっくりくるような・・・
あれ、そうするとスポーツと
芸術の違いというのは何なのかしら?
究極的には芸術には
勝敗が付けられない、という点?
なお、eスポーツを
『スポーツ』ととらえ
選手のことを『アスリート』と
考えている学生さんには
私は物凄く頭の固い
旧世代の遺物のように
見えたでしょうが、
最近の大学生というのは
非常に性根が優しいのか、
こんな年寄りの繰り言にも
熱心に付き合ってくれました。
「ところで若い皆様は
eスポーツ及びeスポーツ選手に
とても好意的でいらっしゃいますが
たとえば数年後、自分の
お子様や甥っ子姪っ子が
『将来eスポーツ選手になりたい!
そのためには毎日
ゲームで練習!』と言って
一日5時間をスクリーンの
前で過ごすようになったら
笑顔で心から応援しますか」
そんな優しい若者たちにこれは
なんと意地悪な質問でしょうか。
「・・・5時間は長すぎますよ。
そこは子供と話し合います」
「でもプロになるにはそれくらい
毎日練習しないと駄目なのでは」
「そうかもしれないですけど
でも子供がゲーム5時間は
目にも悪いし、それにやっぱり
ゲーム以外のこともある程度は
経験すべきだと思うし・・・」
「しかしたとえば子供が
毎日5時間勝手にピアノを
練習するような場合、
あなたはそれを止めますか?」
「う!それは・・・!」
すると他の学生が助け船で
「ピアノを5時間なら
僕は放っておきます。
でもバグパイプを5時間なら
それは耳に悪いから止めます」
おお、これは
頓智の利いた答えだ!
「5時間、外で友達と
サッカー・・・はどうですかね?」
「それは止めませんね。
体にもよさそうですしね。
あれ、そうするとやっぱり
そこがスポーツの特性・・・?
子供が普通に遊ぶ分には
スポーツは体にいい・・・」
「でも怪我の可能性もあるよ。
コンピューターゲームじゃ
怪我はしないよ」
「ただゲームのほうには
依存の危険性があるんじゃない?
何度も繰り返したくなる、
止められない面白さ、
そういうのを計算して
ゲームは作られているでしょ?」
「そんなの運動だって
膝を壊しても走り続ける、
みたいな人は存在するじゃん。
運動にも依存性はあるよ」
「突き詰めたらそうだろうけど
普通は体が疲れたら
運動は休憩を入れるでしょ。
ゲームは休憩なしで
続けられちゃうじゃない」
「ゲームだってやっていて
疲れたら休憩を入れるよ」
「夜も更けてもう眠くて
目も痛くて肩も痛い、
本当ならゲームを止めて
さっさと寝るべきなのに
ゲームを止められなかった
経験がアナタにはありませんか」
「たくさんあります」
議論の結論は
出なかったのですが
私にとってはとても楽しい
対話の時間でありました。
まあでも個人的にはやはり
コンピューターゲーム対戦を
『スポーツ』と呼ぶことに
私は収まりの悪さを感じます。
むしろ堂々と
「これはスポーツではない、
スポーツを超えた娯楽だ」と
新領域を主張したほうが
いいのではないのか、と。
皆様はどう思われますか。
運動とは何か、ゲームとは何か、
娯楽とは何か、芸術とは何か、
個人個人で案外定義が
違っているところが面白かったです
あと最終的に全体の総意として
「ゲームは楽しいけど、
プロのプレイヤーになるのは
案外楽しくないのでは」
みたいな雰囲気になり、
それも私は愉快でした
娯楽は義務になっちゃうと
もうそれは辛い人には辛いですよね
それが辛くない人だけが
一流になれる可能性を
持っているというか・・・
そんなわけでeスポーツ
(私は『eゲーム』と言いたい)話に
お付き合いありがとうございました
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