久々の日本、といっても
約1年ぶりの帰国、
前回と比べ故郷の風景が
劇的に変わった、というようなことはなく。
そんな中、個人的に
「・・・前回はこんなじゃなかった」
ともっとも強く感じた事象は
新聞のテレビ欄に存在しまして、
いえ、民放のチャンネル番号と
テレビ欄の並びが変化したことではなく
(まあ私は『NHK2局、日テレ、TBS、
フジ、テレ朝、テレ東』時代の
人間ではあるのですが、ええ)、
あの、これ、いつからなんですか、
ほぼ毎日のように
テレビの電波を通してお茶の間に
『日本はすごい、外国人も感動』系の
自国賞賛番組が届くようになったのは。
念のため申し上げますと私は別に
そういう番組の内容や趣旨について
ここでどうこう
言いたいわけではなくてですね、
ただこういう番組がここまで連日
目白押しになる、ということは、
そういう状態を
視聴者が望んでいる、ということで、
では何故我々視聴者はこうした番組を
毎晩でも観たいと思うのか?
日本の文化や生活習慣や発明品が
すごいこと・素晴らしいことを
否定する気はまったくないのですが、
それをわざわざ声高に喧伝した上で
『日本人ではない』外国人に
驚嘆・感動させるという演出、
それはまあいいんです、でも
そうした演出をつい喜び求めてしまう
視聴者の心理が私には興味深い。
自分を美人であると自ら主張し
「その証拠に私はこんなに褒められます、
そうです、私は美人なんです」
と言ってしまう、それはいい、しかし貴方は
この人をそこで真の美人と認識するか。
我々は伝統的に
周囲に美人だ美人だと言われても
「・・・いえ、そんな(赤面)」
みたいな反応をする人をこそ
正しき美人としていたのではなかったか。
いえ、私は前者のタイプも
好きですけどね?
かといって後者のタイプも
嫌いじゃないですけどね?
(お前は何を言っているんだ)
まあこれは
大概軽薄な例ではありましたが、
実るほど首を垂れる稲穂かな、
脳ある鷹は爪を隠したがるわけで、
実際自分に自信のある人ほど
己をこれでもかこれでもかと
誇示しようとはしないのが世のお作法。
逆に自分に自信のない人ほど
「私はすごい、私は偉い、その証拠に
この間ある人に私はこう褒められた」
とか語りたがってしまうもの。
というわけで、私としては
この日本礼賛番組増加の背景にあるのは
実は『日本人の自信喪失』ではないのか、
と思う今日この頃、この推論、どうですか。
社会に対する漠然とした不安感も
そうした傾向を加速させているのではないかと。
しかし2016年年頭の今、
私はここで言っておきたい、
日本の人々は別にそこまで
自信を喪失する必要もないではないか、と。
現時点で日本は他国に比べ
圧倒的に裕福で安全で暮らしやすい。
そこはしっかり認めたうえで、
驕り高ぶることなく、では我々は
ここから何をすべきか、と考える。
「私は美人よ、絶対そうよ、だって
今日もあんなに褒められた」と
毎晩鏡に向かって呟いている、
呟くだけでその日を終えてしまう、
そんな人は精神的にやはり少し
不安定だと私は感じてしまうのです。
いや本当、『日本はすごい』番組、
それ自体は全然問題ないと私も思うの
でもそういう番組が毎日のように
放送されている、というその点に驚きが
自画自賛も悪くない、が、
行き過ぎるとそれは
自惚れになってしまうのではないか、と
ただその一方で
謙遜も美学として美しいが
やりすぎると卑屈になりみっともないわけで
難しいところですよね
なお2015年後半の私は
出会う英国人すべてに
ラグビー日本代表に対する賛辞を
強制していたような記憶もあるので
そこは反省して今後の課題としたいです
Norizoさん、あんたさらっと最後に
何を告白しているんですか
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約1年ぶりの帰国、
前回と比べ故郷の風景が
劇的に変わった、というようなことはなく。
そんな中、個人的に
「・・・前回はこんなじゃなかった」
ともっとも強く感じた事象は
新聞のテレビ欄に存在しまして、
いえ、民放のチャンネル番号と
テレビ欄の並びが変化したことではなく
(まあ私は『NHK2局、日テレ、TBS、
フジ、テレ朝、テレ東』時代の
人間ではあるのですが、ええ)、
あの、これ、いつからなんですか、
ほぼ毎日のように
テレビの電波を通してお茶の間に
『日本はすごい、外国人も感動』系の
自国賞賛番組が届くようになったのは。
念のため申し上げますと私は別に
そういう番組の内容や趣旨について
ここでどうこう
言いたいわけではなくてですね、
ただこういう番組がここまで連日
目白押しになる、ということは、
そういう状態を
視聴者が望んでいる、ということで、
では何故我々視聴者はこうした番組を
毎晩でも観たいと思うのか?
日本の文化や生活習慣や発明品が
すごいこと・素晴らしいことを
否定する気はまったくないのですが、
それをわざわざ声高に喧伝した上で
『日本人ではない』外国人に
驚嘆・感動させるという演出、
それはまあいいんです、でも
そうした演出をつい喜び求めてしまう
視聴者の心理が私には興味深い。
自分を美人であると自ら主張し
「その証拠に私はこんなに褒められます、
そうです、私は美人なんです」
と言ってしまう、それはいい、しかし貴方は
この人をそこで真の美人と認識するか。
我々は伝統的に
周囲に美人だ美人だと言われても
「・・・いえ、そんな(赤面)」
みたいな反応をする人をこそ
正しき美人としていたのではなかったか。
いえ、私は前者のタイプも
好きですけどね?
かといって後者のタイプも
嫌いじゃないですけどね?
(お前は何を言っているんだ)
まあこれは
大概軽薄な例ではありましたが、
実るほど首を垂れる稲穂かな、
脳ある鷹は爪を隠したがるわけで、
実際自分に自信のある人ほど
己をこれでもかこれでもかと
誇示しようとはしないのが世のお作法。
逆に自分に自信のない人ほど
「私はすごい、私は偉い、その証拠に
この間ある人に私はこう褒められた」
とか語りたがってしまうもの。
というわけで、私としては
この日本礼賛番組増加の背景にあるのは
実は『日本人の自信喪失』ではないのか、
と思う今日この頃、この推論、どうですか。
社会に対する漠然とした不安感も
そうした傾向を加速させているのではないかと。
しかし2016年年頭の今、
私はここで言っておきたい、
日本の人々は別にそこまで
自信を喪失する必要もないではないか、と。
現時点で日本は他国に比べ
圧倒的に裕福で安全で暮らしやすい。
そこはしっかり認めたうえで、
驕り高ぶることなく、では我々は
ここから何をすべきか、と考える。
「私は美人よ、絶対そうよ、だって
今日もあんなに褒められた」と
毎晩鏡に向かって呟いている、
呟くだけでその日を終えてしまう、
そんな人は精神的にやはり少し
不安定だと私は感じてしまうのです。
いや本当、『日本はすごい』番組、
それ自体は全然問題ないと私も思うの
でもそういう番組が毎日のように
放送されている、というその点に驚きが
自画自賛も悪くない、が、
行き過ぎるとそれは
自惚れになってしまうのではないか、と
ただその一方で
謙遜も美学として美しいが
やりすぎると卑屈になりみっともないわけで
難しいところですよね
なお2015年後半の私は
出会う英国人すべてに
ラグビー日本代表に対する賛辞を
強制していたような記憶もあるので
そこは反省して今後の課題としたいです
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