もういくつ寝ると日本行き、

ということで夫(英国人)も

日本語の練習に余念がないようです。


本日スーパーへ買い物に行った私、

にわか雨の中帰宅しますと

迎えに出てくれた夫が笑顔で

「イッテラッシャーイ!」


・・・惜しい。


ところで私は先日夫に

「自分が一番よく知っているであろう人間が

自分には理解できない言語で

自分にわからないことを話している」

という状況って

いったいどんな感じがするものなのか、

と尋ねてみました。


わが夫婦の場合、

夫が他の人と英語で話をしているのを

私がそばで眺めていたら、

その内容のだいたいのところは

こちらも理解できるわけです。

しかし逆に、

私が日本語で誰かと話をしているのを

夫が隣で聞いていた場合、

夫はたぶん話の内容についてこれない

(夫いわく「だいたいは推察できる」らしいですが)。


「そういうのってさみしくないですか」

「ううん、そんなことないよ」

「日本語を話しているときの私って、

英語を話しているときの私と比べて

何かが違ったりする?貴方にとって」

「あ、それは違う」

「どう違う?」

「うん、日本語をしゃべっているときの君は

ノイジー(noisy)です!」


・・・私はもう少し、こう・・・

情緒にあふれた

哲学的な回答を期待していたのですが・・・


「ノッ・・・ノイジー?」

「はい。『ノイジー』って

日本語だと何ていうんだっけ?」

「・・・『うるさい』」

ボクノツマハ、ウルサイデース!」

「おいこら待て!」

「形容詞の移動もできるよ!

カノジョハ、ウルサイツマデース!

「そういうことじゃありません!」

ツマハウルサイデスネ?

ハイ、ウルサイデース!

「もういい!

とにかく妻に対して『ノイジー』はよくないだろ!

世間の一般常識から考えて!」

「そうですか?では形容詞を変えます、

ボクノツマハニギヤカデース!


・・・何故わが夫は

「うるさい」という単語は知らないのに

「にぎやか」という単語はすぐ出てくるのか。

彼の学習傾向に疑問を抱きつつも

日本に帰る日を指折り数える今日この頃です。