これ、わたしの母ってひょっとして…
と、思ってることが書いてありました。


体調不良を理由に自分の望みを叶えるテコに使う。

というやり方、
それって罪悪感に支配されてるんじゃないの?

わたしの母は、代々女性が60過ぎまで生きたことがない糖尿病家系。
(と思ってるだけで、遺伝子に乗っかってるのかは調べてないから不明)

母の話を書きます。長いです。




母、タブンですが
自身も糖尿病になるのではないか?
入院して辛い末路を辿るのは嫌だ。
と思っていたのかもしれません。

健康診断受診をせずに長年過ごしておりました。

側から見たらヨボヨボとしてくるし、
老眼以上の見え方の変化が感じられるにもかかわらず、
家事をこなし続けておりました。

そんな50台。

医者にかかるよう夫(わたしにとっては父のこと)が提案したり、
手を替え品を替え工夫するも、医者には行かず。

楽しい予定だけ同伴して
医者行く話になるや姿を消したり(!)
医者に行こうね、健康診断受けようね
「はい」と返事があって予約済みだったのにすっぽかしたり(!)
していたのです。

なんともはや、筋金入り。


わたしはというと、

引導渡してあるから、本人が好きにすりゃいーじゃん。知らんがな。

と思ってました。心屋仁之助さん知らない頃なのに…
(ここには現在のパートナーに出会っていて、自分の人生を生きることを見いだしつつあったのが大いに関係しています)

さて、引導渡すとは…

ある日(と行っても医者にかからせようと様々なアプローチが行われるよりもかなり前のことです)
テレビニュースを一緒に見ていた母とわたし。
ちょうど、実母に毒を盛り続け、弱って行く様を観察していた同居の子供
という構図の犯罪が取り沙汰されていたのです。

母は言いました
「えー、なにそれ(子供は)どういう心境?!」
わたし
「毒を盛るのはちょっとわからないけど、
  その後の観察を冷静に続けてる感じはよくわかるよ。
  どう考えても病気が進行してるんじゃないのかっていう
  普通の老衰とはスピードが違う衰え方を目の当たりにするのと近いんじゃない?」

顔色変わる母

「気づいて病院に行けよって思って、
  やれ痩せただの、レストランのメニューが見えないのかだの
  洋服の色が白内障のおばあさんの選ぶ色になってるだの
  色々気づくことを伝えても、気にも留めない
  となると、この先冷静に観察するしかすることないわな。
  どこまでいったら糖尿って気づくんかいなと」

目をそらす母

「ぽっくり逝きたいって、本当に思うなら、医者に行くべき。
  医者に行って、異変に気付いてるなら、一緒に協力して立ち向かおうってなるよ。
  毒盛るのも辞めたかもしれん。
  いい機会だからこの先は医者に行けとは言わん。
  これだけ言うたからには、医者に行かんなら闘病はじまっても世話せんよ」

だんまり。

このあとニュースや病気の話題は出ず、ひとしきり沈黙の後は普段通りでした。


なにかにつけ「ぽっくり逝きたい」とのたまっていた割に、糖尿病の合併症が出ているように思われる母の状態は、全く解せませんでした。

自身の母も糖尿病で看取っていますから、放置しての闘病の辛さは想像できるはずだと思っていたのです。
(お金には困らないの母なので、金銭面からの恐怖は多分ない)

わたしの反省があるとするなら、闘病や死の恐怖に立ち向かう勇気を与えるどころか、突き放したところでしょうか…
世話せんぞ、などと大見得を切ったりして…
チカラで従わせようとしていましたね…

そういうスタイルの子育てをされてきたので、
引きずっているんだと、今も自分が子育てしながら冷や汗かくことがあります。


とはいえ、通院を促してみるいろんなエピソードをさんざん作ったあとで、
ある日突然、眼科に行くと本人から言い出しました、母。
それが8年ほど前です。

今度こそ本当に、すんなり眼科に行き
無事(?)糖尿病の合併症で失明しかかっている疑いで、
総合病院に紹介状。
数週間入院の後、すっかり家事はしない布団の上の人モードになって帰宅したのでした。

今も存命です。

入院したら帰ってこられないと思っていたのかもしれませんが、
彼女の母の頃とは随分違っているのです。
医療の進歩たるや凄まじい訳で。
今やインスリンの自己注射なんか当たり前ですから、合併症で明るさしか見て取れない目になったレベルで初受診になっても、最終的に自宅療養でコントロールしていけたのです。
(人によります、念のため)




入院してみると、母の暗ーい感じは一変。
身の回りのことは看護師が世話してくれますし、整った環境ですから生活もしやすいということもあるのでしょう。
炊事洗濯から解放されて、笑顔で糖尿病と合併症に向き合っている、むしろ前向きな様子が見て取れました。

え!医療従事者になら素直に「はいっ」て言うんだ!
家族全員驚きました…みたいな感じでした。

あとから思えば、どうやって見えない目と動かない体と、わからない味覚を駆使して炊事洗濯していたのでしょうか…
という有様でした。
人間やればできる(使い所がちょっと違う…)


一体彼女は何がしたかったのでしょう?


今も尋ねたところで、答えはかえってこないのでわかりません
(存命ですよ!生きてますし喋れます。初入院のころと容体は見た目変わってません)



しかし、多分彼女は自分の夢…望みを叶えたのではないかと思っています。



家事をしない、という望みと、
家族が自分の元に集っているという状態を作る、という望みです。


実際、世話なんぞせん!と言っていたわたしは
結婚して家を出ました。が、
わたしの夫の力強い後押しもあり、同居しました。(夫も!)
炊事洗濯、やってました…。
糖尿病食、腎症配慮食やってました。
その後、同居は解消しています。
うまくいかなかったんで(…!)

いまは、母と父、わたしの妹で暮らしております。
父、闘病生活を支える側面もあるとはいえ、一般的にはリタイアの年齢を超えても元気にアルバイト掛け持ち中…
宿泊の伴う出張があったりします。

妹、声楽家です。
不規則なお稽古と本番、こちらも宿泊の伴う出張があります。

はい、放っておくと、バーラバラ。
まとまりのない感じの家族生活かな、と思います。


それから、片付けられない症候群疑いの散らかりまくった部屋を見たくない、という望みも叶えてますね…



彼女は専業主婦でした。
趣味…なんだろう?

よく家を空けて、買い物に出かけたり、観劇したりしていましたが、伏せった現在、そういう要望は出てこなくなっています。
趣味かと思っていたけれど、それほど熱い情熱を傾けて人生を支えるほどのものではなかった様子です。

全てのサスペンスドラマを録画して視聴していましたが、それも体が辛くなって、段階的に減少、ある時期でやめました。
いまは推理小説の視覚障害者用オーディオソフトを聴きまくりです。(減ってきてますが)

ラジオ聴取は続いてますね。
朝から晩まで、ダイニングとキッチンに響いていたラジオ…
いまもベッドの上で健在です。

ラジオやテレビから最新情報を得て、可能なら自分でも購買して確かめる…
一般消費者という楽しみ、ベッドの上で続けています。

これも彼女の望みだったのかもしれません。


優雅に夫に手を引かれ、手配された車に乗り、お出かけする…

これも望んでたのかも?
  行き先は病院ですけどね…


二日に一度は、気心知れた友達が遊びにきて、おしゃべりと身繕いを楽しむ…

これも望んでたのかも?
  やってくるのはヘルパーさんと看護師さんですけどね…


でも総じて、
こりゃ母は喜ぶことばっかなんじゃねーの?
って思うんですよね…

体調不良を理由にしなくても、やりゃーよかったんじゃん?

大変ためになる反面教師です、わたしにとって。
 

改めて書けてらっぴい音譜でした。
夫と手をつなごうっと <そこか




あなたは、どんな「らっぴい音譜」がありましたか?

どんな「らっぴい音譜」を発信しましたか?

(^-^)ノクローバー

say_la



 
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