瑠香ですにっこり




自分なんてもの、ホントはなかった






わたしは、人から影響を受けることが嫌いでした。


人だけではなく、モノや環境からの影響にも敏感でした。


もともと、他者との境界線が曖昧になりやすく、自分と他者とを一緒くたに感じてしまう質だったため、自分というものが分からなくなることが度々あったのです。




影響を受けやすい自分を、どうにかしたくて。

自分軸というものを確実なものにしたくて。



他者との線引きを意識的にするようにもなりました。



「これはわたしの感情なのか、それとも相手の感情なのか」

「これはわたしの考えなのか、それとも周りから受け取ったものなのか」


そんなふうに、自分と他者を分けて考えようとしてきたところもありました。



でも、あるとき、ふと思ったのです。




そもそも、影響を受けずに生きている人なんて、この世に存在するのだろうか、と。



人は、人からだけではなく、

環境やモノ、言葉、音楽、空気、そして自分自身の身体の状態からも、常に何らかの影響を受けている。




むしろ、人は「影響」によって形成されているのではないか。



そう考えると、「自分」だと思っていたものさえ、少し違って見えてきました。




わたしは「これはわたしの身体だ」と思っている。


けれど、この身体をわたし自身が生み出したわけではない。この手で一から作ったわけでもない。


食べたもの、吸った空気、眠り、環境、遺伝、これまで受けてきたさまざまな影響によって、この身体は今ここに存在している。


だとしたら、この身体が「わたしのもの」だと言い切れるのだろうか。



そして、「この感情はわたしのものだ」と思っていたものも、その時々の影響によって、驚くほど簡単に変わってしまう。


朝は憂鬱だったのに、アップテンポな音楽を聴いたら気分が上がる。


身体の調子が変われば、感じ方も変わる。


いる場所が変われば、考えることも変わる。


関わる人が変われば、自分の中から出てくる言葉や感情まで変わっていく。


そうやって、わたしは常に何らかの影響を受けながら形成されている。



だとしたら。



今まで「自分だ」と思っていたものは、固定されたものではなく



「影響」という変化の連続によって、その瞬間瞬間に生み出されているのではないか。



そんなことを考えていたら、ある瞬間、はたと思った。



「自分なんてもの、ほんとはないじゃん」




そういえば、『自分とか、ないから』という書籍があったけど。(読んでないけど)



 

 






でも、不思議なことに、そこに虚無感はまったくありませんでした。


むしろ、「あ、なんか楽かも」と思った。

希望だった。手放しだった。




「自分なんてない」とは


「守らなければならない自分なんて、そもそもいなかった」


ということだったからです。




集団の中で人から影響を受けるたびに、自分がなくなるような気がしていた。


だから、影響されすぎないように、自分らしさを守ろうとしていた。


けれど、そもそも「自分」というものが、影響によって刻々と変化しているものだとしたら。



守る必要なんてない。



むしろ、影響の中で瞬間瞬間で変化するのが自分であるなら、自分とは影響の一部であり、影響そのものであるとも言える。




そして、影響は受けるものではなく、受け入れるもの。


「影響を受ける」「影響される」という視点だと、こちらが一方的に受けている、なんなら時には被害者のような立場に感じることもある。


それが「影響を受け入れる」とすると、主体はこちらに戻ってくる。


つまり、何に影響を受けるか(受けたいか)は自分で選べるのです。





それならば、わたしは、


「自分にいい変化をもたらしてくれる影響を受け入れよう」


と思った。




人も。モノも。環境も。


思想も。言葉も。空気感も。




自分の感性が「これはいい」と感じるものから、積極的に影響を受けてみる。


逆に自分にとって望ましくなものは、お断り。




そうやって影響を受け入れるものを選んでいくと、不思議と以前よりも「自分」が分かるようになっていきました。




何に触れると(何が起こると)、自分の中にどんな変化が起こるのか。


そこから何を取り入れたいのか。何は取り入れたくないのか。


その影響から、今わたしはどのような変化が生じているのかを、つぶさに観るようになる。



その取捨選択をしているのは、ほかでもない自分自身。




「自分を守ろう」として境界線を固くするよりも、「何を自分の中に迎え入れるか」を選ぶほうが、かえって自分が際立ってくる。



そして、「影響されたっていい」って許可したら、自分の中から境界線という概念すら消えていった感じがしました。




もうひとつ、気づいたことがあります。



自分以外の世界観に、もっと没入してもいいのではないか、ということです。



わたしはこれまで、没入することが少し怖かった。


人やコミュニティの空気にすっかり入り込んでしまったら、自分がなくなるような気がしていたから。


だから、いつでも引き返せるように、片足だけをその世界に入れていた。


どこかで冷静な自分を残しておく。


どこかで「これはわたしの世界じゃない」と距離を取っておく。


そうやって、自分を守ってきたつもりでした。




でも、今は少し違う。


この世の中には、それぞれの場所にそれぞれの世界観がある。


人間関係にも、仕事にも、趣味にも、コミュニティにも、その場所ごとの空気がある。


まるで、場所ごとに別のゲームが展開されているみたいに。




そしてゲームは、没入するからこそ面白い。



その世界の空気を感じ、その世界のルールに触れ、その世界から影響を受ける。丸ごと体験する。



今までのわたしは、その「没入」が怖かった。


でも、もしわたしが毎瞬、さまざまな影響によって変化しながら生まれているのだとしたら。


何に影響されるのか。


どんな世界に身を置くのか。


どんな空気の中で過ごすのか。


それは、わたしがこれからどんな自分になっていくのかにも、大きく関わっている。




そう思ったら、


「だったら、もっと積極的に影響されに行ってみよう」


と思えるようになった。


自分を守るために、世界から距離を取るのではなく。


自分を豊かにするために、世界を受け入れてみる。


そんなふうに、これからのわたしは生きてみたい。