瑠香ですにっこり



古代日本の海を縦横無尽に行き来していた海洋系勢力が、同じ星の信仰を持っていたとしたら…


そんな視点で古代の星神を深掘りしています。




前回の続きになります↓



子供の頃、星を見るの好きだったなぁ〜にっこり


学校で星座早見盤の見方を教わってから暫くは、夜な夜な星座早見盤持って、マンションの踊り場から首が痛くなるまで見上げたっけ。


今でも星空は好きだけど、もしかして星を見上げるってこと自体が、古い古い時代から私たちのDNAに刻み込まれた記憶だったりして。



海洋系勢力、いわゆる海人(あま)族は潮を読み、星と共に生きていた。


そして、日本の礎を築いてきたあらゆる古代の有力氏族たちの想いと、そこから生み出された産物を運んでいた。


まるで日本の血流のような彼らの活躍は、古えの日本にとってなくてはならない存在でした。



浪漫譚に思われるかもしれませんが、海と星の視点から古代史を覗くと、その不屈のフロンティア精神に驚かされます。


彼らは開拓者でした。その熱いパッションを運んだのが、船を操ることに長け、天文学的な知識を持った海人族たちです。


しかし、その開拓者の魂は中央政権の誕生とともに、次第に法の下に敷かれシステムの一部となっていきます。

日本のあらゆる土地と人を繋いだ海の道も、中央の管理の元に置かれ、海人族たちの生き方そのものが変わっていったのでした。




さて、天津甕星についての仮説を語る前に、彼の神が拠点とした常陸国の話をします。




常陸国には東国三社めぐりで有名な鹿島神宮があります。要石でも有名ですね。


鹿島神宮の御祭神はタケミカヅチ命。


神話では、出雲の大国主に国譲りを迫った神様としても描かれます。

その時に同伴したのは剣を神格化したと言われるフツヌシ命ですが、フツヌシは鹿島神宮と対のような扱いをされる香取神宮の御祭神でもあります。そして、物部氏が祀る神でもあります。


香取神宮は物部氏ゆかりの神社なのです。剣は物部のシンボルです。

剣と銅鏡、石を祭祀の依代として大事にしていました。なので、フツヌシは剣の神なのですね。



では、鹿島神宮は?タケミカヅチとは?


鹿島の神、鹿島大明神は奥州の塩釜から金の鷲に乗ってやってきたという伝承があります。奥州の塩釜は、宮城県の鹽竈神社のあたりを指すかと思います。


鹽竈神社にもタケミカヅチとフツヌシが祀られています。



鹽竈神社の御由緒|神社について|鹽竈神社 https://share.google/OJXU5ip5g2C5MFUcs



鹽竈神社の主祭神は塩土老翁神です。山幸彦・海幸彦の神話の中で、釣り針をなくした山幸彦をワダツミのいる龍宮まで案内したのも塩土老翁です。


塩土老翁はワダツミを祖神としていた安曇氏のこと。

安曇氏は本拠地である志賀島で製塩をしていたそうです。その技術が各地に散らばり、宮城の鹽竈神社もその痕跡かもしれません。



そして、金の鷲とは阿波忌部の祖神である天日鷲のこと。


鹿島大明神は安曇と阿波忌部ととも常陸国にやってきたのです。


そして、塩釜の近くにある多賀城の周辺は多氏のゆかりの地でした。






つまり鹿島大明神とは、主体である多氏+安曇氏+阿波忌部氏という有力勢力の集合体ではなかったか、と思うのです。
金の鷲が先導役であるなら、多氏と安曇氏がセットで鹿島大明神ということになります。


かなり後になって、そこに物部氏も参入してきます。


香取神宮は鹿島神宮同様に後から藤原氏(中臣)の氏神になってしまいますが、元々は物部氏の拠点であったと思います。



このように古代の有力氏族たちが、こぞって常陸に集まって勢力を拡大していきました。

それだけ常陸国は魅力的な土地だったんでしょうね。



そして、時代は流れ大和政権が樹立し、地方への支配が強化されて行く中、この東国の巨大勢力は無視できない存在でした。



彼らにとっては自分たちで切り開いた大切な土地です。


大和政権のように武力ではなく、技術や産業で開拓していったという誇りもあったかもしれません。


強引な中央のやり方に、そう簡単に従うことなど出来なかったのかもしれません。


大和朝廷側(この頃の鹿島、香取=中臣・藤原氏なのでカカセオ征伐に派遣されたタケミカヅチとフツヌシは出雲の国譲りの時とは違う神)が武力で制圧することが出来ないほどに強い力と影響力を持った勢力が、常陸国の周辺に広がっていた。


その開拓者たる安曇や阿波忌部、多、物部などの氏族たちの結晶こそが、天津甕星という悪神として語られたのではないか。


安曇氏はシリウスを、阿波忌部と物部は北極星を中心とした星信仰を持っていました。


それに対し、九州から常陸へ進出した多氏は甕(ミカ)の信仰を持っていました。


多氏は海人族である安曇氏とともに東国を目指したと思われます。

安曇氏には鹿の信仰もあります。


ちなみに、鹿を古くは「カ」と呼んだそうです。「シ」は雄の獣のことで、シ+カ→雄鹿となります。

雌は「メ」といい、雌鹿はメカと呼んだそうです。


甕をミカと呼ぶのは、もしかして「メカ」から来ている?シカが男、ミカが女としたら男女の対になりますね。

鹿島においてはやはり安曇氏と多氏がセットという気がします。



甕→多氏

星→安曇、阿波忌部などの古くから常陸国を開拓し住み着いた有力勢力


=天津甕星の正体


天香香背男=天背男=北極星


ということになります。


天津甕星側から見れば、自分たちの主軸である北極星ということになりますが、朝廷側から見れば不吉の象徴である金星となります。






それが大甕神社のお守りなどにデザインされた神紋にも記されているわけです。

 



画像お借りしました
いちばん下は波模様?海人族の気配がしますね〜





そして、武力ではどうにもならないと分かった後に、遣わされたのが織物の神であるタケハヅチ。


タケハヅチは天日鷲の息子の1人であり、阿波忌部氏なのです。


なぜ同族同士が争うことになったのでしょう?

なぜ武力では倒せなかった相手が織物の力で従わせることができたのでしょう?




長くなったので続きはまたにっこり