あれから今年で9年。
私の親族は、被災地の方に住んでいなくて
友人も居ない。
だから、どれだけの恐ろしい思いをしたか
正直、テレビで見たり
その後少しして、不謹慎というので
映画イベントが全て中止になり
5月にやっと映画イベント再開の最初の
仕事で、仙台での映画舞台挨拶で
復興していない現地を目にしたくらい。
あの後、色んな監督が復興を願い
街おこしの一貫として
仙台や福島で映画を撮りました。
私も中村義洋監督と濱田岳くんの
『ポテチ』撮影、陣中見舞いをかね
仙台に行ったことが思い出されます。
多くの命が失われ、仕事を失った人たち。
あの頃は独り者で2匹の猫と暮らしていたので
二ヶ月間、イベント自粛で仕事が無くなって、
不安はあったけれど
ひとりだからいざという時は
なんとかなると思いながら
被災した人々が、少しでも希望を持てますように
と寝る前に毎晩祈っておりました。
そして暇だからキャンドル作ってネットで売って
募金として微々たるお金を送ったことを
思い出し。
ただ、東京電力に旦那様が勤めていた友達が
誹謗中傷に心を痛め
やがて連絡が取れなくなり
何処かへ引っ越してしまい
今も音信不通なのも思い出すのです。
別に彼女の旦那さんは上層部でもなんでもない。
色んな苦しみがあるんだと気付かされたのです。
忘れない。
あれから9年。
今は、コロナウィルスで仕事を失う人が増え
もれなく私も映画イベントがメインなのと
喋ることがどーやら得意なこともあり
見事に仕事がどんどん無くなり
まぁ、夫ももれなく音楽系のフリーランス。
こつこつ、ちょっとの原稿業とインタビューで
やれることを考えています。
それよりも
次々と連絡が来る映画イベント中止の連絡
司会で関わった演劇の方々からの公演の休演。
ただ願うのは、不安や恐怖からギスギスして
心が攻撃的にならないこと、
多くの人が助け合える心になること。
せめて、人に優しく。
と花粉症の私は鼻水を垂らしながら
心に言い聞かせた2019年3月11日。