夫の恋人の背中の匂い

 

 フェティズムとは、身体の一部や物品など、

本来は性愛と直接関係ない対象に強い興奮や執着を覚える心の動きである。

眼鏡、声、匂い、筋肉、あたりが比較的によく知られたフェチだろうか。

なかでも嗅覚は特別だ。人間の五感の中でも唯一、大脳辺縁系に直接つながり、

本能的な感情や記憶を強く刺激する。

塩素の匂いは、夏の小学校のプールを思い出すし、

5月に咲くシイノキの花の独特な香りは、春の終わりの登下校を思い出す。

また、嫌いな人が使っていた柔軟剤の匂いは、瞬時に当時の不快な感情を呼び覚ます。

このように匂いの記憶は、一瞬にして過去の情景へと連れ戻すタイムマシーンのようなものだ。

 

 この物語の主人公である、アルコール依存症の笑子とゲイの睦月は、

世間体のために秘密裏に仮面夫婦を始めたばかり。

夫である睦月は、妻公認の年若い青年の恋人・紺がいる。

恋愛結婚ではなく制約結婚から始まった二人の関係は、

どこか奇妙で、それでいて純粋だ。

笑子は、過去に自分を振った元恋人との別れの痛みや、

子離れが出来ていない両親からの言動から精神科に通院歴があり、作中でもかなり情緒不安定だ。

笑子の発作的に当たり散らして暴れることを優しく受け入れてくれる睦月。

笑子は彼のことを異性としてではなく人間として尊敬、親愛している。

そんな穏やかな彼が話す、恋人の話を聞くことが好きだった。

あるとき、笑子は二人の情事について、しつこく詮索する。

どんなエピソードが語られるかと思えば、睦月はただひとこと、こう告げる。

 

「紺の背中は、コーラの匂いがする」

 

 その一言だけで、読者の鼻孔には、炭酸が弾ける気配と、

甘くスパイシーな匂いがはしっていく。ひとの背中の匂い。

 

この小説における最大の官能だ。

私はこの描写を目にしてから

「コーラの匂いのする背中を持つ青年」をずっと忘れられずにいる。

特定の行為や欲望ではなく、その存在そのものが放つ「匂い」で性愛を表現する。

それこそが、江國香織が描くきわめて洗練されたフェティズムではないだろうか。

 

私にとってフェティズムとは欲望の癖だけではなく、

忘れられない魅力を表現する着眼点だ。

数十年近く、読者に覚えさせるこの小説こそ、その証明である。

 

 

 

私は号泣したけど、本当はそんな小説ではない