「笑い」は心の最強の処方箋です! -4ページ目

「笑い」は心の最強の処方箋です!

幼少期から悲惨な目に遭いながらも生きることを楽しめる理由を追求した結果、心にも筋肉が必要だと確信しました。
身体だけでなく「心の筋肉」をつけるための考え方や捉え方を中心に体験談等を綴ってます。


アオサギ、何を見てるんでしょう

第5章 笑いの力を伝えたい

今私が伝えたいのは「笑いの力」です。

でも誤解しないでください。
苦しい時に無理やり笑うのではありません。
それはむしろ逆効果。

苦しい時はまず「泣く」のです。

泣いて泣いて泣いて(働いて働いて、、じゃないです笑)
泣きつくして悲しい気持ちを出し切ります。
出してスペースを作らないと何も入りません。

高くジャンプする時は一度しゃがみますよね。
それと同じでどん底に落ちたら上がれます。

そこでやっと笑えます。
この時の「笑いの力」はとても強く
ジャンプの後押しをしてくれます。

長女に万一のことがあっても
親が悲しんだり苦しんでる姿を見て
その光景をあちらの世界に持って行ってほしくはなかったです。

そうではなく、笑顔でまた私の元に生まれて来ると思ってもらいたかったのです。

視野を広げることも大切です。

自分だけがこんな思いをしてるわけではないと気づくことです。

長女の退院の時、喜びはもちろんありましたが
病院にはまだ病を持った人がたくさんいました。
それを考えるととても申し訳ない気持ちになりました。

見ている世界が違うと、悩みもまた違うし
考え方も違ってきます。
だから一歩違う場所から見てみる。
その手段が私にとっては「笑い」だったのです。

ーーーーー

常に笑ってるように思われますが

笑ってます

(笑)

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月も映ってる〜

第4章 離婚と新たな試練

夫の借金が発覚し
一段落したと思ったのも束の間
浮気が発覚。

それが浮気ではなく本気でした。
離婚届を置いて出ていきました。

司法書士と話し合い
慰謝料をもらい自身を成長させるための投資に使いました。

あらゆる事を模索しながら資格をとり
最初に取得したカウンセリングを活かしながら介護ヘルパーの仕事に就きました。

ある時、ヘルパーの仕事でとても短気な利用者さんがおられました。
いつも不機嫌で怒鳴ります。
そんな事から誰も好んで接したくないようでした。

私はボランティアでカウンセリングをやってたので
積極的にその利用者さんの所に入るようにしました。

最初はもちろん、怒鳴られ心折れる時もありましたが
長く話しをするうちに打ち解けることができました。
そしてご指名までいただけるようになったのです。

介護職は天職だと思いましたが腰を痛めたり、
両親の病気の事も重なり辞めざるを得ませんでした。

疲労からか自分自身も「良性発作性頭位めまい症」を発症。
1年半まともに動けませんでした。
この時、横になりながら三人娘の楽しそうな笑い声を聞いてると
「私も早く元気になりたい!そして娘たちの話しの輪の中に入りたい!」
と、強く思えたのです。

ーーーーー

「輪の中に入りたい!」

と思いましたが
ただの聞きたがり
だったのではないかと(そうだろ)

(笑)


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京都チームラボにて
基本薄暗いけど(笑)楽しめました。


第3章  結婚、そして娘の大病

母は再婚して再婚相手の連れ子男の子2人とお姑さんの5人で暮らしてました。
高校2年の夏休み、私と妹は母の家に遊びに行ったまま父の所には戻りませんでした。

高校3年生後半では進学する事を決断するも大反対をされ
泣く泣く断念、就職しました。

就職した会社ではパワハラ、セクハラに遭い4ヶ月で退社。
その後大阪有線放送社(今のUSEN)に就職、音楽が大好きだった私にとっては毎日がとても楽しい仕事でした。

しかしながらこの家でも次々と問題が勃発。
家を出るには結婚するしかないと腹をくくります。

めでたく結婚して家を出ることに。
それから2人の娘を授かったところで転勤。
しかし妹ひとり置いていけず同居することになりました。

転勤先では家族寮があり、2DKの部屋で大人3人子供2人で暮らしました。
暫くして妹は就職と同時に一人暮らしを始め
私は三人娘の母になりました。

楽しい日々は続きませんでした。
人生最大の試練でしょうか。
長女が小学校入学式目前で急性リンパ性白血病と診断されたのです。

生存率20%と宣告されました。
乳飲み子の三女を抱っこしたままそれを聞いてた私の口から出た言葉は
「宝くじは当たらないのにこんな事は当たるのですね」
医者は半ば呆れてたように感じましたが私は本気でそう思いました。


ここから長女の無菌室での過酷な治療が始まります。
夫の両親と私の母、総動員で長女の付き添いをかってでてくれました。
しかしそんなにうまくいくはずもありません。
2人の娘と夫の両親、狭い部屋での生活、疲労困憊でした。

ある時長女は治療の辛さに壁を掻きむしりながらも苦しみに耐えてた事を母から聞き、決断した事があります。
私が付き添いに行った時は
「気分の良い時は思いっきり楽しませよう!」
と決めました。

それからは私が行くと病室で笑い転げることが増えました。
挙句、婦長さんから注意されることもありました。
笑いが功を奏したのか3ヶ月で退院、5年間の通院治療で完治しました。


次女は小学校3年生の時に腎臓病で入院しましたが同じく3ヶ月で退院できました。
三女も肺炎や気管支炎で入院していつの間にか病院が顔パスになるほどに(笑)

どんな時でも笑いは絶えませんでした。
母が自殺未遂を二度起こし、その時の不摂生がガンを発症させて最期の時でも
朦朧とした意識で話す母の言葉で私と妹が爆笑してると母もニヤリと笑いました。
その笑顔に救われました。

ーーーーー

チョー長文!
読んでいただいてありがとうございます。

次の章からは短いです。
いや、
短いと思います。
いや、
多分短いです。

だんだん自信無くなってきた。。。

(笑)


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梅🌸から元気をいただきました!

第2章 学生時代の苦難

小学生に入って暫く経ったある日のこと

強面の見知らぬ男が大声で怒鳴りながら玄関の扉を開けて入ってきました。

その男は入ってくるやいなや私の手を引っ張り
スカートをめくり、
太ももにナイフを当てたままおばあちゃんに何か言ってました。

その時の言葉は覚えてないですが
どうやら借金取りだったらしいです。

子供ながらにストレスだったのか皮膚炎にかかり
頭は洗うほど酷くフケ状になり
クラスメイトからそれを取ってもらってました。
今だと考えられないことですが
当時の私はそれがみんなと交流できるツールだと思ってたようです。


中学時代、私と妹は母方のおばあちゃんの家に預けられました。
以前の母のお金の問題で両親が離婚した事が理由でした。

そこでもまた、父方のおばあちゃんの再婚相手による性的被害に遭いました。
彼は仕事から帰ると浴びるほどのお酒を飲み、夜中になると私や妹が寝てる布団の中に手を入れてきました。


中学3年の時は、
担任教師が実母の幼なじみで仲が悪かったらしく
それが関係してたのか通常でも冷たく当たられてましたが進学相談の時には酷い言葉を吐き捨てられ希望校での内申点はもらえませんでした。
絶望感に苛まれ第一希望校ではありませんでしたが進学しました。

高校生活は父と妹と3人。
月1万円の食費でやりくりするようにと言われ
夏休みもバイトしながら家事もしてました。

ーーーーー

あの頃が懐かしいです。

我ながら良くやったなと(笑)

今日は素直に自分を褒めまーす!

(笑)

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光が入って綺麗に輝いてますが実際は透明のお守りです。


前回からの続きです。

おもぉ〜〜〜〜〜い内容ですが
サクサク書きます。

第1章 暗い幼少期

私の記憶では子供時代は暗闇でした。

母からの日常的な虐待に怯える日々。

同居していた父方のおばあちゃんだけが
私の心の拠り所でした。


自宅は小高い山の中にあり、
どこに行くにもお寺を通らなければなりませんでした。

こともあろうかそのお寺の住職から
幼稚園に上がる前から性的被害を受けてました。

いつもお酒の匂いをぷんぷんさせた住職は
私の母にも抱きつくことがあったようです。
今なら大問題になるでしょうが
当時は誰も問題にしませんでした。

幼稚園に入ってからも住職からの被害は続き
逃げることしかできませんでした。
そんな時に今度は同じクラスの男の子に捕まり
性的被害に遭いました。

そんな中でも私は人を

「笑わせること」が大好きでした。

優しかった父方のおばあちゃんが
私の言葉やしぐさで大爆笑してくれてる顔を見るのが大好きでした。

そのためにいつもおもしろい事をしてました。
これが後の私の

笑いの原点

だったのかもしれません。

ーーーーーー

嫌な記憶はいつまでも鮮明に残ってるものですね〜(根が深いわ)

書きながら
「これ犯罪だろ?」(うん)
「え?違う?」(違わない)
「あきらかにそーよねー?」(そーよ?)
と、独り言の忙しい自分に吹き出しましたー。

(笑)


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