
京都チームラボにて
基本薄暗いけど(笑)楽しめました。
第3章 結婚、そして娘の大病
母は再婚して再婚相手の連れ子男の子2人とお姑さんの5人で暮らしてました。
高校2年の夏休み、私と妹は母の家に遊びに行ったまま父の所には戻りませんでした。
高校3年生後半では進学する事を決断するも大反対をされ
泣く泣く断念、就職しました。
就職した会社ではパワハラ、セクハラに遭い4ヶ月で退社。
その後大阪有線放送社(今のUSEN)に就職、音楽が大好きだった私にとっては毎日がとても楽しい仕事でした。
しかしながらこの家でも次々と問題が勃発。
家を出るには結婚するしかないと腹をくくります。
めでたく結婚して家を出ることに。
それから2人の娘を授かったところで転勤。
しかし妹ひとり置いていけず同居することになりました。
転勤先では家族寮があり、2DKの部屋で大人3人子供2人で暮らしました。
暫くして妹は就職と同時に一人暮らしを始め
私は三人娘の母になりました。
楽しい日々は続きませんでした。
人生最大の試練でしょうか。
長女が小学校入学式目前で急性リンパ性白血病と診断されたのです。
生存率20%と宣告されました。
乳飲み子の三女を抱っこしたままそれを聞いてた私の口から出た言葉は
「宝くじは当たらないのにこんな事は当たるのですね」
医者は半ば呆れてたように感じましたが私は本気でそう思いました。
ここから長女の無菌室での過酷な治療が始まります。
夫の両親と私の母、総動員で長女の付き添いをかってでてくれました。
しかしそんなにうまくいくはずもありません。
2人の娘と夫の両親、狭い部屋での生活、疲労困憊でした。
ある時長女は治療の辛さに壁を掻きむしりながらも苦しみに耐えてた事を母から聞き、決断した事があります。
私が付き添いに行った時は
「気分の良い時は思いっきり楽しませよう!」
と決めました。
それからは私が行くと病室で笑い転げることが増えました。
挙句、婦長さんから注意されることもありました。
笑いが功を奏したのか3ヶ月で退院、5年間の通院治療で完治しました。
次女は小学校3年生の時に腎臓病で入院しましたが同じく3ヶ月で退院できました。
三女も肺炎や気管支炎で入院していつの間にか病院が顔パスになるほどに(笑)
どんな時でも笑いは絶えませんでした。
母が自殺未遂を二度起こし、その時の不摂生がガンを発症させて最期の時でも
朦朧とした意識で話す母の言葉で私と妹が爆笑してると母もニヤリと笑いました。
その笑顔に救われました。
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チョー長文!
読んでいただいてありがとうございます。
次の章からは短いです。
いや、
短いと思います。
いや、
多分短いです。
だんだん自信無くなってきた。。。
(笑)
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