「私って未熟だなぁ」と思った時にしみた言葉 | 本当の自分で楽に豊かに生きる道

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Spica Creations パーソナルコーチ 深井沙織の幸せに生きるヒント

コーチングの視点から
日々の幸せ 気づき 学び 心にとめておきたいこと など書いています

ここ数日 「私って未熟だなぁ」と思い知らされるような出来事がたくさん起こっています。

これは、きっと、自分の未熟さを受け入れるレッスンなのでしょうが
つらいな~、と思っていました。

そんな時。

<からだの声を聞きなさい>スクールで共に学んだ仲間が
FacebookでOSHOの言葉をシェアしていました。

心に響いたので、シェアしますね。

OSHO : 自分のもろさを謙虚に受け容れなさい

 それから抜け出したいのなら、まず第一に必要なのは――自分自身を裁かないこと だ。謙虚に自分の不完全さを、失敗を、過ちを、もろさを受け容れなさい。そうでないふりをする必要はない。ただ自分自身で在りなさい、「恐れに満ちてい る、それが私なのだ。暗い夜に外には出られないし、奥深い森に入って行くことはできない」と。そのどこが悪い?――まったく人間的だ。  

 いったん自分自身を受け容れたら、あなたは他人を受け容れられるようになる。なぜならあなたは、彼らも同じ病に苦しんでいるという明晰な洞察を得るからだ。そしてあなたが彼らを受け容れることは、彼らが自分自身を受け容れることの助けになる。  
 
 私たちはその全プロセスを逆向きにすることができる――まず自分自身を受け容れなさい。それが、あなたをして他人を受け容れることを可能にす る。そして誰かが自分たちを受け容れてくれていることから、彼は初めて受容性の美しさを学ぶ――それがどれほど安らかな感じがするものか――そして彼らも 他人を受け容れ始める。  

 もしも全人類が、誰もがありのままに受け容れられる地点にまで至ったなら、ほとんど99パーセントの惨めさがあっさりと消え失せてしまうだろう――それには何の基盤もない――そしてあなた方のハートはひとりでに開き、愛が流れ出す。  

 たった今、あなたはどうやって愛することができるだろう? これほど多くの間違い、これほど多くの弱さを目にしながら、どうして愛せるだろう?  あなたは完璧な人を望んでいる。が、誰も完璧ではないのだから、あなたは愛のない状態を受け容れるか、それとも不完全な人でも問題はないということを受 け容れねばならない。愛を分かち合うことはできるし、あらゆるたぐいの人びとと分かち合うことができる。が、要求をしてはいけない。  

 裁きは醜い。それは人びとを傷つける。一方で、あなたは彼らを傷つけ、痛みを与え続けながら、もう一方で、彼らの愛を、彼らの敬意を欲しがっている。そんなことはできない。  

 彼らを愛し、彼らに敬意を払ったなら、おそらくあなたの愛と敬意は、彼らが自分たちの多くの弱さ、多くの過ちを改めることの助けになるかもしれ ない――なぜなら、愛は彼らに新たなエネルギー、新たな意味、新たな強さを与えるからだ。愛は彼らに、強い風、熱い太陽、激しい雨に対抗して立つ新しい根 を与える。  

 たとえたったひとりの人に愛されただけでも、あなたはこれまでに想像もできなかったほど強くなる。が、この広大な世界の中で誰ひとりとしてあな たを愛してくれなかったら、あなたはまったく孤立してしまう。そうなれば、自分は自由だと考えたところで、あなたは監獄の独房の中で暮らしている。その独 房が目に見えないだけだ。あなたはそれを自分といっしょに持ち歩いている。  

 ハートはひとりでに開く。ハートのことは心配しなくてもよい。ただその下地を整える仕事をしなさい。

The Transmission of the Lamp~

引用 以上。


私が目指しているのは、この世界で、
ずっとここに取り組んできました。

「まだまだ未熟だ」と思うのは当たり前で、
そんなに簡単に到達できるものではないかもしれません。

それでも、私はこの道を行きたい。

私の未熟さを謙虚に受け入れます。
この未熟な存在が私だと。そして、その未熟な私も愛します。

もし、苦しい想いをしている人がいたら、
その人にも届きますように。


最後まで、お読みいただき、どうもありがとうございました。