昨年12月に久しぶりに父に会いに札幌に帰省しました。

介護施設にいる父の様子は弟のお嫁さんから弱っていると聞いていました。

 

実際会った時、私のこと分からなかったらどうしようと不安でした。

 

そんな不安を吹き飛ばすかのように、父が、

「おねえちゃん」と言ってくれた時は嬉しかった照れ

 

幼少期どうよばれていたか覚えていないのですが、

弟が生まれてからは「おねえちゃん」と父から呼ばれてきました。

 

#長女あるある

 

足腰はすっかり弱って、歩行器をつけながら歩いていました。

身体は弱っているものの、頭はしっかりしていて、

甥っ子の勉強を心配していたり、自分が亡くなった後のことを心配していました。

 

そしてしっかり私が覚えている言葉は、

「早く母さんの所へ行きたい」

という一言でした。

 

3年前に母が急逝し、そこから、すっかり気弱になった父。

 

こう書くと父は妻想いで子ども想いに思えますよね。

 

両親と過ごした15年(高校から親元離れてます)、父は教職の仕事についており、やたら厳しい人で怖かった印象しかありません。

 

#ちなみに親戚の人は父を先生と呼んでいます

 

褒められたことも覚えてません。

出来ていないこと、約束を守らない事など徹底的に叱られてきました。

 

なので、私は父のことが嫌いでした。

 

社会人になると、父は教職という公務員系の仕事についているからなのか、そこまで残業する意味がわからない、女はとっと嫁に行けみたいなこと言い出して、私は父に会うと喧嘩ばかりしていた記憶ばかりが思い出されます。

 

そして1月21日、私の60歳の誕生日の日、父危篤の知らせが入りました。

 

あまりの突然にパニックとなりましたが、その時期は、産業カウンセラー実技試験対策講座と1級キャリア技能士指導でスケジュールがいっぱいでした。

 

受講生には、講座が開催できるか直前まで分からないということを告げ、急ぎ札幌に帰りました。

 

向かった病院で父は朦朧として話すことはできませんでした。

それでも、私だよ、法子だよというと、手を力強く握り返してくれ、まだ大丈夫だと自分に言い聞かせました。

 

そこから4日間札幌にいて、ほぼ毎日危篤の知らせが入り病院へ行き、その後落ち着き、夜の実技対策講座の一部を開催することが何とかできました。

 

その後一旦家に戻り、1月30日朝7時3分父が亡くなったと弟から電話がありました。

最後は、大好きな孫と弟夫婦に見守られて旅立ちました。

1級キャリア技能士の受講生にはスケジュール調整をしていただき、1月31日にお通夜、2月1日に告別式を無事終えました。

 

最後のお別れの時は、ぎゃんぎゃん泣いて泣いて涙が止まりませんでした。

 

父には今でも文句言いたいし、許せないことは沢山ありませす。(私こころが狭いです)

それでも、最後の別れは悲しかった。

 

親子とは何なんでしょうね。

愛情あって当たり前でもなく、憎しみもあってもいいと私は思っています。

 

一番近い存在だからこそ、様々な感情が強くでるのが家族であり、親子なんだと思います。