この夏の一番大きかった出来事は

ここにチラッと書いた



わたしにしては本当に珍しく(家族)に近いぐらいオープンになれる友人が出来たこと


彼女は(ある発達障害)を持っていてそれが故に

他人との距離を測れない、空気が全然読めない人


彼女が早い段階で自分のことを開示してくれたので、彼女のトンチンカンぶりも不快ではなく、寧ろ(お笑い)になるという付き合いをしている


発達障害ってあんまり良い言葉じゃないよね

彼女の(障害)が実は(美徳)でそれ故に繋がっている仲なのだ



今までのわたしは

テーブルの上に林檎があるならば全ても人間が当たり前に林檎を見るという思い込みがあったのだが

彼女を理解する過程で

テーブルの上に林檎があってもそれをどうしても認識出来ない人間がいるという事が朧げながらに分かった様な感覚といえばいいのかな....

そんな感じ


わたしが日本に行く前に

彼女がさりげなくこう言った


さっちゃん、違いを思いっきり楽しんできてね


この単純なメッセージが非常に有益だった



わたしは自分の両親と仲が良い方だと思うし、顔も思考方法も含めて段々と自分が父親に似てくるなあ...と思う

その一方で母とは正反対だなあ...と思うことがよくあって実際に過去にはそれでぶつかったりもした


ところが友の教え

お互い理解出来なくてもいい

違いを楽しんで....

を念頭に置いていると非常に平和なのだ


母はちょっと考えが古いので(オンナは結婚してナンボ)みたいな価値観がある。わたしは結婚して不幸になった人を山ほど知っているので母の一方的な押し付けがましい言い方に妙にカチンとくる

今までのわたしだったら(もう!一方的な思い込みで発言しないで)とプリプリ怒って言い合いになってしまうのだ


ただ今回は母との考えの(違い)に出会った瞬間に

あゝこの違いを楽しんでみよう....とう発想が出てきてイライラすることが全くなかった


母もわたしに否定されることなく一方的に持論を伸び伸びと展開することができ、なんだかとっても楽しそう

お互い全然理解し合えないのだけど、その隙間を埋めようということにお互いがエネルギーを注がないから楽ちんなの 以上 マル


過去には母とはどこまでいっても理解し合えないという事で落ち込んだりもしたのだが....

理解なんてしなくてもいいのかも

ただそこにある(違い)を楽しめばいいのだ

そんな風に単純に思ったらなんだか単純にただ楽しかった


人と一緒にいる理由って

一緒にいてただ楽しい

それ以上の理由は要らない


さっちゃん

スゴい丸くなったね

お顔が柔らかくなった

と最近 よく言われるのは他人と理解し合うのが大事みたいな幻想を捨てたからなのかも


この世とは(違い)に出会う事で(自分の真実)に目覚めるシステムなんだと思う