とても個人的な体験なので書くべきかどうか迷いましたが記録しておきます。

丁度1週間前 7月29日の日曜の朝のことです。

けたたましい鶏の夜明けを告げる鳴き声、漁船が漁に出る為に港を出る音
夜明けと同時に目覚めた我々 夫婦

子供達は遊び疲れまだ眠っています

7時にガランガランと鳴り響くお隣のギリシャ正教会の鐘の音 
50mと離れていないのでその音色はかなり大きな音色です

日曜日のミサが始まる時間なのでしょう。
すっかり目覚めてしまったワタクシ

コーヒーを入れ飲んだ後にお家のベランダに出て瞑想を始めました
波の音が聞こえるので波のリズムに合わせるように呼吸のリズムをゆっくりと落としていきます
キラキラキラキラキラキラ
20分 30分経った頃でしょうか
その時 再び
ガラーンガーランとお隣の鐘の音が鳴り響きました

ミサが終わった祝福の合図なのでしょう
目を閉じて座っていたワタクシの身体の隅々まで鐘の音が振動していきます
その時にかなりはっきりとした声で

悔い改めよ
という言葉が聞こえました
そしてその言葉の意味がすっと腑に落ちたのです



汝 悔い改めよ とは聖書の一節ですよね

ワタクシは小学校から高校までカソリックの学校に通ってました 
とはいえ洗礼を受けた信者ではないのですが12年間聖書を読み、シスターから学んだ事である程度 知識としてキリスト教という宗教に親しみを持っています。

今までは 
悔い改めよ!とは
自分の人生間違えだらけ...なんて駄目駄目なんだ
ごめんなさい〜滝汗 反省します!
そういう怖い意味だとずっと理解していました

ところがワタクシがこの日 すっと腑に落ちたこの一節の意味は全然違う響きがありました

文章化するとこうなります

我々の生きる世界は常に変化を繰り返しており
一瞬たりとも同じである瞬間はない
我々人間も全く同じ 
常に変化するのが当たり前の姿

変化する事 変わりゆく
世界に対し恐れを持ってはいけない

自分が人生の中で身につけた悪習 やましい心のあり方  手放せるものは自分から手放しなさい

まだ手放せない悪習 やましい心はそこにある事をただ認識し そして 手放せる時期をただ待ちなさい


ガラーンガーランの鐘の音の中でさっと腑に落ちた 悔い改めよとの一節は心を健やかに保ち変化を祝福して受け入れなさい そんな意味なんだと理解しました

凄くはっきりと聞こえたのでもしかすると
日曜日のミサのテーマがこのお話だったのかなぁ

そしてその意識がワタクシにまで飛んできたのかな?そんな風に感じました なんせお隣ですから...

これはあくまでワタクシの感覚ですのでトンチンカンだったらごめんなさい



教会の外の敷地
欧州のカソリック教会とは全然違う空気感です
とっても優しいおおらかな雰囲気が漂っています


この啓示を受けて以来 とってもこの教会に親しみを感じていたんです
ただ日中は鍵がかかって入れません
信者さん以外には扉を閉ざしているのかな...
と残念に思っていたのですが..

ハルキ島を発つ前の晩の事です
翌日は朝6時夜明け前のボートに乗ってロードス島に戻らないと飛行機に乗れません
荷造りも全部終え 家族で最後の夕ご飯に出掛ける夜19時半過ぎの事です

この教会の前を通過すると扉が開き中から光が漏れています

あ、開いてる!ニヤニヤと思い目をやると
中にいらっしゃる信者のおばさまがにっこり笑って手招きしてくださいました

中で5ー6人の方が歌を歌っています
その歌に答えるよう前方にいらっしゃる司祭さまが歌で返事を返されています

祈りの歌なのでしょうが 凄く深いゆっくりとした音色に聞こえました(所謂 ワタクシの知ってる賛美歌とは全然違う音色です)

教会の外は本当に殆ど装飾のない簡素な作りですが、教会の中は全て金色と赤 
壁の一面に美しい装飾がなされ本当に美しい空間でした

祈りのお邪魔をしてはならないと我々は戸口で2-3秒祈らせて頂いただけですが本当に美しい貴重な時間となりました。この島を去る直前に扉が開いたというのはワタクシにとってとても象徴的な出来事だなぁと感じます。

悔い改め、生きていこうと思っています



さて長らくハルキ島の話を書きました
お付き合い頂きありがとうございました