窮子とは、乞食のことです。

 

ある愚かな息子が愚かな人にだまされて、父を捨てて失踪します。

 

その乞食になった息子を父が捜しだして立派な人間に立ち返らせるという仏教のたとえ話です。

 

キリスト教にもよく似た話があります。

 

放蕩息子の話です。

 

この二つの話の違いはどこにあるのでしょうか。

 

長者窮子の話は、見つけた息子に父と名乗らないで教育し亡くなる直前に父であると告白します。

 

それは、仏が尊い教えによって、変わらぬ人間を育成することによって救うという仏の慈悲を教えているそうです。

 

放蕩息子の話は、悔い改めて帰って来た息子を咎めることなく、喜んで受け入れる父なる神の大いなる愛を説いています。

 

悔い改めるとすべてを赦してくださる神の愛。

 

愚かな人間を死ぬまで教育してくださる仏陀の慈悲の心。

 

どちらの愛も愚かな私たちには必要ですね。

 

奥村一郎選集を参照

 

 

 

 

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