禾山(かさん)老師のもとで雲水修行をしていたころ加藤晁堂(かとうちょうどう)和尚にかかわる逸話である。

 

晁堂を含めた六人の雲水を伴って禾山(かさん)老師が托鉢に出ておられたある日のこと、坂道にかかったところで、重い荷物を山ほど積んだ車が坂を登りかねているのに出会った。

 

晁堂は無意識に列から離れて車の後ろから押してやった。

 

と、このとき、これに気づかれた老師は、一人でさっさと寺に帰ってしまわれた。

 

そして、直ちに晁堂を破門処分にするように命じられた。

 

道友も心を痛めて、せめて、その理由だけでもと懇願すると、「修行の身である者が、人の車に気をひかれるようでどうする。山門から叩き出せ」といわれた。

 

しかし、晁堂も出来物(できぶつ)、山門に座り通して、やっと、参禅の許しを得たという。

 

これは、己事究明(こじきゅうめい)における非常なまでの禅的修行の様相を伝える話である。

 

西村教授が米国留学中に、この話をクエーカーの人たちに伝えたとき、異口同音に、禅的修行を手厳しく批判する声に、西村教授は戸惑ってしまった。

 

困っている人を助けることこそ、宗教者のとるべき態度であり、禅のやり方は非宗教的である、という。

 

奥村一郎選集より抜粋

 

 

キリスト者としては、困った人を助けることが善であると思うでしょう。

 

しかし、己事究明(こじきゅうめい)を目指す修行もまた、真理であると思うのは日本人だからでしょうか。ニコニコ

 

 

 

 

 

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