紅花栄
紅花栄(べにばなさかう)
今日からの七十二候♪
今日も若い制服の団体さん=修学旅行生見かけました
毎日多いですね
死生観に関する講演会を聴きました
演者は某病院緩和ケアセンターの医師です
高野山で2年修行?されたそうです
余命いくらと言われている方々にどのように接したら良いか、という話でした
いくつか印象に残って覚えているところだけ
(まとめていない断片だけの話になって申し訳ありませんが)
「エンドオブライフ・ケア」
「あと3ヶ月しか生きられないとしたら
あと1週間しか生きられないとしたら
あと1日しか生きられないとしたら」
欧米では小学生の頃から教育においてそのような話をされていて、若い頃から考えたりされているそうですが、日本では「死ぬこと」に関しての話題はタブー視されています。大人になって、いい年になって死に直面するときになって、初めて考えるのです。あと3ヶ月というと、これまで言っていないところに旅行したいとか、多くの方はやり残したことをやりたいと言われるそうです。そしてあと1日という問いに対してはほとんどの方が家族(や親しい人)と一緒に過ごしたいと言われるそうです。
日本人ではどのように死にたいと聴くと「ピンピンコロリ」という人が多くおられます。ご本人はそれでいいのですが、後に残された家族は突然の喪失となるのでダメージが大きい亡くなり方です
人生における「三つの真実」
・人は、必ず死ぬ
・人生は、一度しかない
・人は、いつ死ぬかわからない
死の覚悟により生まれる力
自分も必ず死ぬと覚悟すると「逆境力」が生まれる
死にゆく人の権利と義務
・適切なエンドオブライフケアを受ける権利
・自律して「自分らしい人生」を生ききる権利
・自分自身で「自律した生き方」を選ぶ義務
・「良き死」とは何かを自分で考える義務
逆境に直面したとき、苦悩者は過去への後悔「なぜこんなことに」や未来への不安「これからどうなるのか」に苛まれ、逆境に正対できないことが多い
この出来事には何か深い意味がある」と考えて正対し過去の体験から気づきを得る
人生の苦悩に正対すれば自己成長も可能となる
逆境は気づきのチャンス
成長を続ければ成功をつかむこともできる
癌患者の孤独(「死」の対話)
死を否認する人もいるが、多くの癌患者は否応なく「死」を意識しながら苦悩しており、誰かと「死」について対話したいと望んでいる
家族:縁起でもない!
医療者:今忙しいので…
家族も医療者も対処の仕方がわからないので対話したがらない
誰にも自分の話を聞いてもらえないまま落ち込み悶々と悶々と亡くなっていく患者が多い
誰にもわかってもらえない孤独感は、気持ちを受け止められたときに感謝に変わる⇒ジョイニング
ジョイニング(仲間入り)
医療者が家族独自の文化に溶け込んでいく
・相手の姿勢や動作、ルールに合わせる 呼吸や声の調子、会話速度、姿勢、格好、雰囲気など
・相手が興味を示す話をする 相手の好む話を探りながら対話を始めるが、天候や季節の話が無難
・相手の話を否定せずに受け止める まずは「そうなんですね」、と否定せずに受け止める
・相手が評価して欲しいことを褒める 相手にとって心地よいと思われる内容を自分の言葉で伝える
終末期ケアと家族療法
家族にとって、一番大切でありながら一番コミュニケーションできないテーマは「死」である(家族システムの機能不全)
医療者は、家族システムに入り込んで、あたかも家族の一員であるかのごとく議論に参加する(ジョイニング)
家族システムの機能回復による癒やし
講演の中にはこんな話もありました。、末期癌の患者さんが吐血して血圧も下がり意識もなくなりお亡くなりになりかけたところ奇跡的に回復されたかがおられ、意識がはっきりされてから「ふんわり温かくなって気持ちよかったところが急にえらい痛い目に遭わされて気がついたら病院のベッドだった」と言われ、それは血圧低下して起こったせん妄だろうけどそんなことも言えないし、もっていた立花隆著の文庫本「臨死体験」を読みますかとお渡ししたところ、分厚い文庫本上下巻2冊を一晩で読まれ、「先生、あの本には本当のことが書いてあった!」と喜ばれ、それから残り一年ほど「これまで苦労ばかりかけてきたから」と自分のためではなく奥さんのためにいろいろなことをされてお亡くなりになったそうです。後に夫人から先生にお礼を言いたいと言われお会いしたところ、何十年かの結婚生活で最後の一年が一番良かったと言われたそうです。それまで末期癌で本人は病気の恐怖に苛まれ生活も家族もバラバラになっていたところ、最後の一年は夫は夫人のことをいろいろ考え気遣ってくれてとても助かり、とても良かったとのこと。
先生が話の最後をどのようにまとめたのか忘れてしまいました。
「臨死体験」は読んでおりませんので何ともいえません
新型コロナ流行初期にはいつ死ぬかわからない恐怖もあったのですが、コロナが少し下火の今も、事件、事故、病気、天変地異などいつ何があってもおかしくはありません
「死」はいつかまだ先、ではなくいつでもおかしくないと思い、普段から考えていかないといけないことです。
追記 とりあえず「臨死体験」注文しました