何をしていたのかわからないうちに一月の半分が終わってしまいました。
今日は震災のあった日。
阪神淡路大震災から20年。
未明に起きた突然の揺れは、箱に入れられて激しく振り回されたようでした。
部屋の入り口にあった本棚の本が全部落ちたのでドアが開かず、すぐに部屋から出ることができませんでした。数日前まで本棚の上にはペンやインクを置いていましたがたまたま他の場所に移していてそれらが降ってくる事態は避けられました。
停電していましたが、割と早く回復しました。逆に回復したために発生した火災も多かったので、何ともいえません。
ご近所でも倒壊した家もありました。
電気が回復し、ニュースが聞けるようになってだんだん被害の報告が増えていきます。はじめは被害全体の確認もできないため大したことないような被害報告ばかりですが、徐々に被害の大きさがわかるようになっていきました。
とりあえず自宅は大丈夫であることを確認しましたが、このあたりでこれだけひどければ、(大阪の勤務先の)病院には怪我人が殺到しているに違いないと思い、バイクで大阪へ。数日前に買ったスキーウェアを着ていきました。(このときのスキーウェアを今も使っているというのが怖いですね) 高速道路は通行止め。一般道路にも亀裂が入り段差ができており、車は通行できないところもあり大渋滞ですが、何とかバイクは大阪までたどり着けました。
病院に着くと、市内は地下鉄も動いておらず静かなもの。近くに住んでいる看護師さんたちはそれぞれの病棟に集まっていました。床頭台のテレビが落ちたりはしたようですが、幸い患者さんに当たってけがをするなどもなく、大きな被害はなし。医局の机は雪崩を起こしていましたけど。
ただ、受け持ちの患者さんのお一人が地震の揺れに驚いてパニックが続き病態が悪化してお亡くなりになってしまいました。
近所のスーパーは普通に営業しているし、とりあえず飲料水をバイクに積めるだけ箱買いして帰宅。翌日もう一度行くと水はおろかインスタント食品もほとんど売り切れていました。
数日で甲子園までは電車も通るようになり、道路の段差も応急処置でなんとか通れるようになりましたが、神戸の方では悲惨な状況がかなり長く続きました。
道路事情がある程度良くなるまでは阪神電車で通勤していました。阪神梅田駅までは雰囲気も暗く、荷物を多く持つお客さんが多く、皆いかにも被災者にみえるのですが、梅田に出た途端、地震などなかったような華やかな街に人があふれており、大阪神戸のわずかの距離なのに、この落差の激しさに驚いていました。
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