☆東北随一の蔵の町並は重伝建になった★
場所・ 福島県喜多方市小田付周辺
電話・ 喜多方市観光協会 0241-24-5200
時代・ 江戸後期以降(1862~)
構造・ 煉瓦・土蔵造り 2階建て
最終訪問・ 2020.03 3回目
*国・重要伝統的建造物群保存地区
これは2008.04に実際に訪れたときのレポートです。
福島県西北部、喜多方は会津盆地の北端を占め(だから北方から喜多方に
)、会津若松の北方に位置します![]()
阿賀川に(新潟県に入ると阿賀野川)注ぐ中小の河川群によって形成された複合扇状地であるこの地一帯は、良質な水と肥沃な土地に恵まれ、厳しい自然の中でも独自の文化を育んで来ました![]()
「藏造り通り」(小田付)
近世の喜多方は一貫して会津藩領でしたが、中心部の小田付村と小荒井村には早くから市が開かれ、その後も周辺農村部の物資の集積地として発展しました(だから物資を保管する蔵が必要だったのか、現代で言うIC近くの倉庫街だ)![]()
現在は「喜多方ラーメン神社
」になっている
軒が超低い![]()
現存最古の「島三」 文久2年(1862)築 中央通り
江戸中期頃になると、これら両村では商人の台頭が目立つようになり、やがて恒常的な商業活動が行われる在郷町の町並みが形成されます![]()
その名残を留めているのが南街周辺(旧小田付村)と中央通り(旧小荒井村)です![]()
喜多方の蔵造りを特徴付けるのは、むしろ、店舗の奥に設けられた座敷蔵(あるいは蔵座敷)です![]()
店舗と座敷を一体的に土蔵造りとしたものと、店舗の奥に別棟の座敷蔵を設けたものとがありますが、その数は店蔵を凌ぎます![]()
蔵造りが単に防火のためだけでなく、防寒をも兼ねて、人々の生活を守る手段として普及してきたことを窺わせます![]()
喜多方が「蔵の街」として知られるようになったのは昭和50年代に入ってからです![]()
市内には1500棟とも2000棟ともいわれる蔵造りの建物が残されていますが、
通りに面した店舗を土蔵造りとした店蔵(江戸後期に江戸で成立した町家形式)は、南街と中央通りを合わせても十数棟に過ぎません![]()
(郊外の農村集落に入って行くと色々見られます)
「若喜商店」 国・登録文化財
明治後期築 表に看板建築も
現存最古の例である文久2年(1862)建築の「島三」の店蔵(中央通り)を始め、多くは切妻・平入・桟瓦葺きの2階建てで、前面の下屋庇や観音開扉の防火窓、出桁造り、
軒蛇腹などに江戸型店蔵の影響を見てとれますが、一方では、早くから周辺部の農家の土蔵に普及していた二重屋根(置屋根)形式のものが目立っています![]()
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次は蔵で有名な喜多方市へ![]()
会津若松方面から国道121号の道中は田園風景がのどかに広がります![]()
東北の駅100選に選定されている「JR喜多方駅」へ![]()
やはり駅も蔵をかたどったようなデザイン![]()
駅前の 「珈琲 煉瓦」 喫茶店 明治後期築
その駅前に「珈琲 煉瓦」となっている、蔦の絡まる煉瓦蔵を発見![]()
明治後期築で市の歴史、近代化遺産となっています![]()
とても良い雰囲気なのでいつか中でお茶してみたいなあ![]()
あと喜多方ラーメンも食べてみたいけど、喜多方ラーメンだったら新潟市内にも近いので店舗がいくつかあるな![]()
駅前から市役所(土日は無料開放)に車を停め歩き始めます![]()
南町と商店街にあたる中央通りを中心に蔵座敷が残っています![]()
かつての男衆は「四十にもなって蔵の一つも建てられないようでは甲斐性がない」と男として認められなかったようです![]()
いつの時代も男は経済力がないとだめだったようです、大変だなあ![]()
まさに「男はつらいよ」の寅さん![]()
でも当時は日本人の平均寿命は50歳くらいだったことを思うと人生の集大成だったのかも![]()
「会津喜多方ラーメン 蔵 けやき通り店」
中央通りを歩いていくと土日でも人があまり歩いておらず静かな街です![]()
そんな中に「島三」は1862年からある最古の蔵座敷で屋根瓦は会津地方に多い赤瓦で1階の屋根の軒の高さが150センチくらいしかなくとても低いです(上から3番目の画像)![]()
昔の人は小さかったからか、そして2階建て(現在は「喜多方ラーメン神社」に)![]()
「喜多方ラーメン 蔵」
喜多方の蔵はとても個性的で煉瓦造り3階建ての「若喜商店」は登録文化財で明治後期築![]()
こんな蔵座敷は多分、日本中でここにしかないかも(内部非公開)![]()
喜多方は蔵造りの見本市みたいだ![]()
蔵・煉瓦・町並み好きの方にもオススメです(^^♪











