斜面に折り重なるように建つ旧旅籠群
赤2

 

赤沢の山岳信仰街道沿いの宿場街の旧旅籠

場所・ 山梨県南巨摩郡早川町赤沢

創業・ 江戸中期はてなマーク~現在廃業

竣工・ 明治10年以降はてなマーク(1877)

構造・ 木造2階建て

最終訪問・ 2009.11

*国・重要伝統的建造物群保存地区内ラブラブ

 

「赤沢」は山村集落・講中宿で山岳信仰の拠点で参詣者を集めた旅籠が現在でも残っていますアップ
山梨南端に位置する早川町は見渡す限り山だらけです目

 

西に静岡との県境を成す標高2000~3000mの南アルプス連峰、東を標高1000~1500mの身延山地が取り囲む早川渓谷一帯を含む町域は、甲斐の奥座敷といわれ、38の集落が点在しますあし
 

武田氏時代に開発された保(ほう)、黒柱(つずら)、雨畑(あめはた)の金山遺跡があり、鎌倉時代に築かれた日蓮宗総本山の身延山とその守護神・七面山は信仰の聖地です富士山

赤沢宿は身延山と七面山を結ぶ山間の参道の途中にあって、眺望の良い傾斜地に開かれた38戸の集落ですあし
広大な山林を背景とする諸職を兼業し、寺社や信仰に奉仕していましたパー

 

全戸が望月姓を名乗り、旧家には七面山開創にまつわる伝承や文献が数多く残されており、武田氏家臣団の末裔とも伝えられています耳


大

旧旅籠 「大黒屋」 紅葉の山が背後に迫る


中世まで女人禁制の七面山は、江戸初期に庶民が信仰する山に変わりました富士山
さらに江戸中期の宝暦頃、身延往還(七面参道)が整備され、赤沢集落は坂道の両側に雛壇状に並ぶ座敷配置となり、

 

講を組織した信徒団体などの参詣者を迎える講中宿場として発展しましたアップ
江戸時代の旅籠は草葺きの平屋造りであったそうです家


江戸後期の天保9年(1836)の村大火以後は町家風の木羽葺き切妻屋根に変わりましたあせる
明治以後は遊山を兼ねた参詣者が増えたため、明治10年(1877)旅籠は総2階建てに大改修を行いました家

 

団体客を迎え送り出すのに都合良いように、座敷廻りに深い軒と小縁の付いた土間を巡らしましたひらめき電球
明治末期には最新のトタン屋根を導入し、大正期に今日のような街並み景観が形成されましたクラッカー

赤沢の繁栄は、身延往還を徒歩で旅する参詣客に支えられていた昭和10年代までで、以後は衰退の一途を辿りましたダウン
明治初期、33戸の集落に9軒を数えた旅籠も、現在では1(記事) が営業を続けるのみとなりましたあせる


まるでタイムトリップをしそうな世界 

人影もない晩秋の夕暮


1980年、Uターンした若者たちの「青年同志会」が村の伝統行事の継承と活性化に向けた活動を始め、それが1993年重要伝統的建造物群保存地区選定へと結びつきましたアップ
 

保存・修景事業に取り組み続けて10年を迎えた今、自然環境にも注目し、自生する希少動植物の保護の検討を始めましたクマ
 

「信仰とやすらぎの里造り」をテーマに、町並みを生かした生活のあり方を模索しつつ、赤沢宿の新たな魅力と価値を生み出そうとしていますアップ

そんな神秘的な集落の中に佇む「旧大黒屋」(記事) は残念ながら現在は営業していませんが今後、まちおこしの中で資料館などとして再生するかもしれませんねチョキ

 

谷を渡る「南無妙法連華経」の声が響き渡った時代を想像しながら町歩きをしてみるのも楽しいかもしれません得意げ
町並みは昔のままなので今にも白装束集団が角から出てきそうな錯覚に陥ります叫び

 

許可を頂いて八幡大佐さんの

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宿場・山岳信仰・旅籠好きの方にオススメです♪゜・*:.。. .。.:*・♪

 

 

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