「中山道・中津川宿の宿場町」 うだつが並ぶ宿場 「恵那山」酒蔵
中

 

中山道・飛騨街道の分岐点、中津川宿の宿場町

場所・ 岐阜県中津川市中津川宿 本町、下町

時代・ 江戸時代

構造・ 木造・土蔵造り2階建て

最終訪問・ 2012.03 中津川市再訪

岐阜県東部の中津川市は長野県・妻籠宿から奥妻籠の峠を越えて、岐阜県・馬籠宿から山を降りて来たところにある最初の町らしい町です音譜
ここは飛騨街道の分岐点、木曾街道の商業の中心地です¥


宿内には商家が多く、穀物、酒、呉服、紙(美濃和紙はてなマーク)などが扱われ、3と8の日に市が立ち、賑わいを見せていました音譜

今でも酒蔵は健在で「恵那山」という銘酒があり「酒遊館」(間酒造)というところで試飲もできるみたいですお酒
 

宿の中には中津川宿「旅人館」がありますが、これは鉄筋コンクリートの近代的な建物でしたビル

 

「中山道 中津川宿の宿場町」 本陣 工事中だった
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中津川宿 本陣

門右手の一軒分は問屋場で、門を潜ると表庭があり、その奥に建坪283坪の本陣がありました家
表庭の右手に長屋があり、その奥が厩(馬屋)になっており、表門の正面は内玄関と緑3間半の荷置場がありました耳

 

その奥が台所、貴人一行自らが調理した所や御膳所がありましたパー
さらにその奥が勝手向きで、勝手の諸施設や多くの部屋もありましたアップ

 

「中山道 中津川宿の宿場町」 本陣
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横から見るとうだつのせり上がりがすごいなあ


表庭の左手に中門があり、その右に番所も置かれ、庭は高塀で囲まれていましたクローバー
玄関の奥には玄関の間、ついで三の間、次の間、中の間、上段の間へと続きましたアップ

 

上段の間は9畳で、床の間を設け、備後米で大紋緑付きの上畳が2畳置かれていましたおにぎり
上段の間には湯殿、上り湯、雪隠などがついていました温泉

 

裏も庭となり高塀で囲われ、御退道の門戸があり、非常のときは近くの大泉寺へ避難できましたあし

 

「中山道 中津川宿の宿場町」 うだつ
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うだつ

うだつは火事の際、臨家からの類焼を避けるために造られた防火壁のことですメラメラ
隣家との境に造られる小屋根付きの高い塀で、造るには家1軒分の費用が必要だっため、裕福な家の証でした¥

 

「うだつがあがらぬ」という言葉はここからきていますアップ
現在は、うだつのある家は本町、下町に数軒が残るのみで、中津川宿の繁栄の面影を残す貴重な遺産となっていますクラッカー


「中山道 中津川宿の宿場町」 栗菓子のお店
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道は見通しの利かないように鉤の手に


和宮(かずのみや)道中御菓子

文久2年(1862)に徳川家茂に嫁いだ和宮様はご降嫁のため、10月20日に京都を出発、11月15日に江戸に到着馬
25日間の道中、保存のきく和菓子を携帯されましたお団子


平成13年に大阪で「皇女和宮様御婚礼道中菓子製法の儀」が発見され、32品の和菓子が用意されたとあります本
中津川菓子組合では、「和宮道中御菓子」として6品を和宮様の誕生日(5月10日)と和宮様中津川宿泊日(10月29日)の年2回、限定100箱販売していますお茶

 

やはり街道の旅には和菓子が付き物のようですねお団子

歩き疲れた体に糖分が効きそうですあし

(「にぎわい特産館」0573-62-2277)

 

「中山道 中津川宿の宿場町」 古い町家が残る
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新潟市からは北陸道~信越道~中央道で400キロ、5時間(旦那様の運転)かかりましたあせる
この日は大雨のため訪ねる人もいず、雨の木曽路そのものでした雨

 

中山道は主要な街道で山間を通っていたため、江戸時代の面影がよく残っていると思います富士山
けっこう馬籠宿の山を抜けてきたところで、すぐに栄えている町でした音譜
やはり峠のすぐ前の宿場、町は栄えるというセオリー通りでしたグッド!

 

「中山道 中津川宿の宿場町」 蔵も大きく立派
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蔵の窓の庇には持ち送りが付いて豪華


ここは中山道の宿場の中でもうだつがよく残っている町並みだと思いますラブラブ
食べ歩きも出来るので天気が良ければ歩き周ると楽しい町だと思います音譜
当日は本陣が工事中で見れませんでしたが、まあ時間もなかったのでどちらにしても見れませんでしたがあせる

街道歩き・町並み・歴史好きの方にもオススメです(^^♪