久しぶりの更新です(^_^;)
今、武道に関する本を読んでいます。その中で注釈として、随所に空手道の歴史が記されています。その中で「あ~そうなんだ~」と思ったものを備忘録的にメモしておこうと思います。
・大山倍達・・・(1923~1994)船越義珍から松濤館流を、山口剛玄、曹寧柱から剛柔流を学び1964年に極真会館を設立。伝統空手に反旗を翻し、寸止めに対してフルコンルールによる大会を開催。大山亡きあと、大山が韓国出身者であり特攻隊あがりでもなく、プロレスラーと闘ったこともなかったなど、その虚像が暴かれた。
・糸洲安恒(いとすあんこう)・・・(1831~1915) 20代から首里手と那覇手を学び54歳で退職後、自宅で空手を教え始め、沖縄空手界に名を残す弟子たちを数多く育てる。ピンアン初段~五段を創作した。ナイファンチ二段・三段も創ったといわれる。
・船越義珍・・・(1868~1957)松濤館流の開祖。24歳を過ぎたころ首里手を学ぶ。また息子の義豪を通じて摩文仁賢和から糸洲の型を修得。1922年上京して東京で空手の指導を行う。沖縄において船越は組手をほとんどやっていなかったらしい。空手に関する著書をいち早く出版。大学生たちに多大な影響を与え、主要な大学に空手部ができ、松濤館流の最大団体・日本空手協会に結実。本土の空手普及には大いに貢献したが、実力については疑問符がつく。
・本部朝基(もとぶちょうき)・・・(1870~1944)12歳より糸洲安恒から空手を学ぶ。1922年京都で外国人ボクサーと戦い勝利。1927年上京。実戦空手を生涯かけて追及した稀有な存在。
・那覇手・・・首里手、泊手と並ぶ空手三大系統の一つ。中国武術を学び発展させたものが那覇手のルーツとされる。那覇手中興の祖と呼ばれる明治期の東恩納寛量は中国でルールーコウという中国武術家に学び型を編纂したとされるが、真偽は定かではない。今日、那覇手はほとんどが東恩納寛量の系統である。
・首里手・・・琉球王国時代、首里に住む士族たちによって継承・発展してきた唐手。一般には首里手は柔軟性・敏捷性を重視し、那覇手は筋骨を鍛え抜き重厚な技を重視。なお泊手は首里手と変わらないとされているが、失伝した部分も多く謎が多い。代表的な型には首里手と同じナイファンチ、バッサイ、クーサンクーなどがある。現在泊手を純粋に継承している流派は存在しないが本部朝基などにその特徴が受け継がれているといわれる。
・剛柔流・・・四大流派のひとつ。1929年、開祖・宮城長順の高弟・新里仁安により命名、のちに宮城がこれを追認し流派名として定着。宮城長順が、東恩納寛量から学んだ那覇手に工夫を加えて立ち上げた流派。現在の剛柔流は沖縄においてもいくつかの会派に分かれており、それとは別に故・山口剛玄により本土に普及した系統がある。
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