さて、今日は「西遊記」の旅の目的について一考を。
もちろん目的は万民救済のための取経であり、物語の主人公は三蔵法師、弟子たちはそれを助ける脇役である・・・
そんなイメージを持っている方も多いと思いますが、私の中では玉竜(普段は白馬)を含む一行、五名全員がそれぞれ目的を持って旅をしていると解釈しています。
有名な火焔山でのエピソードでの中で、偽物の芭蕉扇をつかまされた悟空が悔しがっているところへ土地神がやってくるというシーンがあります。
(土地神)「本物は牛魔王が持っています。」
「そうか、火も奴がつけたのか。」
「いや、斉天大聖様、あなたがつけたのですよ。」
放火犯呼ばわりされて悟空は激怒しますが、よくよく聞いてみると五百年前天界を騒がせた時のこと。太上老君の八卦炉を蹴破って逃げ出す時に、壊れた炉が地上に落ちて火焔山になったとのことでした。
そこで悟空は気付くのです。この苦しい旅は、自分が過去に犯した数々の罪をつぐなうための旅であり苦難であると。自分自身のために苦難を克服しなければならず、自分が主役であると。
八戒や悟浄にとっても天上界での罪を償うためという目的があるし、玉竜も父である竜王を怒らせた罪、三蔵でさえ前世での罪(釈迦の弟子であったが仏法を軽んじたため、唐に生まれかわらされた)を背負っています。
よく、私は人生を西遊記の旅になぞらえます。前世云々は別として、人生における苦難というものには何かしらの意味があるのかな〰と(^▽^;)
苦しい時もくさらずに、「自分自身のために」と言い聞かせ、前向きに生きていきたいものですね。
三蔵一行のように、仏や菩薩になりたいなどと大それたことは望みませんが(-^□^-)
おあとは次回の講釈で(ドラマ西遊記ふう・・・)