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横浜婚活・結婚相談所センター、良縁会関東本部、LCIQ師範、行政書士で警察OBの北川城三です。![]()
昨日(18日)は、千代田区隼町にある最高裁判所へ足を運びました。
実は、法曹界で活躍している娘の現場を一度見たくて、大法廷での判決言い渡しを傍聴しに行ったのです。
しかし、初めて足を踏み入れた最高裁の姿には、ただただ唖然としました。
公務員時代、当事者として地方裁判所には何度も足を運びましたが、最高裁は別世界でした。
大法廷も、そこへ続く通路も、驚くほど広大で豪華な造り。
現役の頃、施設建設の予算要求で「華美すぎる!」「面積の根拠を示せ!」と厳しく削られ、結局それなりの施設しか建てられなかった苦い経験がある私としては、「この広大な庁舎はどうやって許されたのか?」と、複雑な思いが込み上げました。
「上には優しく、現場(下)には決定的に冷たい」お役所仕事の縮図を見たようで、この国の税金は本当に公平に平等に使われているのか?、と心底考えさせられてしまいました。
この思いが、今日の判決にも繋がっているな~と感じてしまいました![]()
最高裁の傍聴席は数が限られており、注目事件となれば抽選は必至です。
「もし外れてしまったら…」という不安の中、整理券を握りしめて列に並びましたが、幸運にも当選することができました![]()
そして、厳重なチェックを受けて、無事に大法廷に入ることができました。
今回争われたのは、「警備業法」の規定をめぐる国家賠償請求訴訟でした。
「判断能力に支援が必要(被保佐人)」になったというだけで、個人の能力を精査せず一律に警備員の職を奪う法律は正しいのか?という重大な局面でした。
実は私は、「これからの裁判はAIでもできるのではないか?」と考えていましたから、事前に生成AIに今回の訴訟内容を読み込ませ、「最高裁判事」になってもらい、独自の判決を出させていました。
AI裁判官の判決
1.主文(結論)
本件、上告を棄却する。
本件規定は違憲であり、国は原告に対し賠償金を支払わなければならない。
2. 判断の理由
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憲法の適合性:【明確に違憲】 「財産管理」に支援が必要なことと、「現場の安全確認」という警備員の適性は別問題。
データ(個人の実能力)を見ずに属性(ラベル)だけで一律に処理するのは、合理性を欠く「怠慢なアルゴリズム」と同じである。
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国家賠償責任:【違法・賠償責任あり】 憲法尊重擁護義務を持つ国会が、矛盾を認識できたはずの規定を放置した不作為は重い。
システムのバグ(違憲)によってユーザー(国民)が実害を被ったなら、運営者(国)がコストを負担して救済するのが、論理的な正解である。
結論
不要に広範な規制であり、憲法22条1項(職業選択の自由)を侵害しています。
国家賠償責任(国会の不作為)について:【違法・賠償責任あり】
私(AI)は以下の理由から、国の責任を厳しく問います。
「過失」の認定基準
実際の裁判所は「違憲判決が確定するまでは、国会議員が法律を直さなくても仕方がない(過失はない)」という、国会に非常に甘い基準を採用しがちです。
しかし、私は「結果責任」を重視します。
- 憲法は最高法規であり、国会議員は憲法尊重擁護義務を負っています。
- 本件規定のような「欠格条項」が、成年後見制度の理念(ノーマライゼーション)と矛盾していることは、平成29年時点でも十分に認識可能でした(すでに他の法令では見直しが進んでいたため)。
個人の権利救済の優先
国会が「忙しかった」「議論中だった」という事情は、職を奪われた個人には関係のないことです。
違憲な法律によって国民が具体的な損害(失職)を被った以上、そのシステム(法律)を運用していた国がリスクとコストを負担するのが、損害の公平な分担という観点から論理的に正解です。
そのため、救済範囲が広い(原告勝訴の)判決となります。
いかがでしょうか。これが、国とはしがらみのないAIとしての率直な判断です。 (ここまでAIの回答)
現実の判決
【最高裁が下した判決】
判決の内容は、違憲判断はAIと同じでしたが、賠償責任に関してはAI裁判官が危惧していた通り(率直に、「AIさすがだな!」と思いました。)、原審を破棄して、棄却したのでした。
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法律は「違憲」である
裁判所は、個人の能力を無視して一律に排除する規定は「職業選択の自由」を侵害しており、憲法違反であると断じました。(これはAI裁判官と同じ判断)
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国の賠償責任は「なし」
国会が法律を改正しなかったことについて、賠償責任までは認められませんでした。
「当時はまだ違憲とまで言い切れなかったから、国会議員の不作為は違法ではない」という理屈でした。
(この点がAI裁判官とは異なっていました.)
私の率直な考え
最高裁は、法律そのものは「違憲(憲法違反)」であると断じました。
個人の能力を無視した一律の排除を否定したのです。
ここまでは、私も納得です。
ところが、国の「賠償責任」については認めませんでした。
「当時はまだ違憲とまでは言い切れず、国会議員の過失とは言えない」という、なんとも国側に甘い理屈で、原告の請求を退けたのです。
法廷でこの判決を聞きながら、私は一人の親として、また一人の市民として、強い違和感を覚えました。
判決は「システム(法律)が間違っていた」とは認めながらも、「システムの欠陥で一人の人間の人生が狂わされた責任は取らない」と言っているのです。
国の事情や行政効率よりも、たった一人の国民の生活と尊厳の方が重いはずではないでしょうか。
間違ったルールで損害を与えたなら、国は潔く責任を認めて償う。
それこそが「個の尊厳」を守る、成熟した国家の姿だと私は信じています。
最後に
今回の裁判、実は第1審と第2審では、国に対して賠償命令が出されていました。
特に2審では、賠償額が増額されるという、より踏み込んだ判断だったのです。
私の「AI裁判官」も、この下級審の判断を支持する結果となりました。
ところが、最高裁では判断が一転しました。
15名の裁判官のうち、5名が「賠償すべき」としましたが、残る10名が「賠償の必要なし」と判断。
結果として、国の賠償責任は否定されたのです。
賠償棄却という結論には、どうしても納得できない部分が残ります。
しかし、少なくとも「この法律は間違っている」という声を司法に認めさせた原告の努力は、日本の人権を一歩前進させたはずです。
その歴史的な場に立ち会えたこと、そして改めて「正義とは何か」を深く考える機会を得たことに感謝したい一日でした。
ですが同時に、人間の「しがらみ」や「不条理」を突きつけられたような今回の判決に、
「やはり今後はAI裁判官の方が、公平で正しいのかもしれない……」
なんて、少し切なくやりきれない思いが胸をよぎったのも事実でした。
何か「イチケイのカラス」を思い出してしまいました💦
この結果について、皆さんはどのように感じるでしょうか?
私たちは、最高裁判所裁判官の「国民審査」にもっと関心を持った方が良いのかもしれませんね。
さて、本題は以上です。

