日にちが変わってしまいましたが、東日本大震災から11年たったのですね。
14時46分、テレビの追悼番組をみながら黙祷し、11年経とうが、20年経とうが、悲しみは癒されるものではないと感じていました。
東日本大震災を背景にした映画、「護られなかった者たち」を観たことは先日、記事にしたけれど、その映画の中で阿部寛さんの演じる刑事さんが海に流されて、まだ見つからない息子さんの遺品の時計を身につけているのが心に残り。
そして、成田凌さん主演のドラマで毎回観ている「逃亡医F」でも大切な人の時計を成田凌さん、松岡さんがつけていて。
時計が好きだった次男坊。
中学校に入ってから数ヶ月でコレクションと言って何個かの時計を買いました。
(もうその頃は余命を一年切っているとわかっていたから、元気なうちに望むものは何でもしてやりたかったので。)
私もその中の一つを身につけようかな?
時間はスマホで見ればいいし、時計をつける習慣がないけれど。
映画とドラマの影響ですね~(単純です、ハイ)
話しが、少し変わりますが。
次男坊は自宅での看取りでした。
亡くなる瞬間、医師はそばにいません。
病院へ運んで延命治療をするか、自宅に居させるかの選択を確認し。
私が言った
「このまま家から…。」
その返事を聞いて、医師は一旦戻り。
亡くなったと看護師さんの連絡を受けてから、また来てくれることになります。
もちろん、当時そんな手順は知るわけもなく。
もう旅立つという時、私も夫も長男も次男坊を抱きしめ、呼びかけ。
その時、看護師をやっている義弟(義妹の旦那様)が、次男坊の脈をとり始め。
次男坊が大好きで、病気が治ったら一緒に船で鯛釣りに行くと約束していた義兄が腕時計を見始め。
18時41分
静かにつぶやいた義兄の声が聞こえました。
その後、医師が到着し亡くなったことを確認し、死亡診断書に記入された時刻はそれより30分以上ずれた19時18分。
18時41分。
たぶん、夫も知らない旅立ちの時間。
毎月28日の18時41分は次男坊に語りかけます。
次男坊が身体を手放した時間。
それは深い悲しみの時間だけど
辛すぎる闘病、全身麻痺で動かせない身体から解放されて自由になれた時間なのかも。
真実はわからないけど忘れたくない大切な時間。
先日の月命日のあと、次男坊の部屋の机の引き出しにしまっていた腕時計を出してきました。
5年近い年月がたち、もう全部の時計が止まっていて、私がつけるのなら電池を入れ替えしなくては。
一番、普段に使いやすそうで、次男坊のお気に入りの時計を選びました。
次男坊もはめた時計。
そう思いながら腕にはめて、ふと時刻を見ると。
6時41分。
止まった時計にも意味があるのかも?
もしそうなら、動かすことなくそのままにしましょう。
止まった時間を受け入れる。
決して癒されることはない悲しみも受け入れて、生きていく。
姿は見えなくても、そばにいてくれると信じてるから。
震災で奥様を亡くした方が、「笑うことができなくなった」と。
私も「笑顔」、「微笑み」はためらいなくできるけれど、「笑う」ことはなかなか難しいかな。
いつか、作り笑いではなく笑える日が来るかもしれないけど。
どっち???
どちらになっても、それはそれで受け入れるのも佳し、、、かな。
