私は、Facebookで大好きなページがあります。

ヤギさんを愛して止まない
デンマークの男性のページ。

いつも楽しみに見ていましたが、
その愛するヤギさんが旅立った時の、
男性の様子が痛切で、、。

一緒に泣いて、
私にもいつか起きるのだ、
どうしよう、と思いました。
(さくらのお産のずっと前のことでした)


私は、
我が家にいるヤギたちのことを
愛しまくっていて、、

それで、そのとき、ふと、、、
「ペットロス」について検索してみました。

すると、そのサイトには
「愛しすぎない」と書いてあって、、
思わず「ははは」と、笑いました。

笑ったのは
「別れに準備するために愛しすぎない」って
アドバイスは
矛盾してると思ったからです。

愛し「すぎ」ているからダメなの?
愛するのを止めるなんて。

「わたしには、役に立たないアドバイスだな。」

と思いました。

それで、ページを閉じました。


さくらが旅立ったときに、
わたしの頭の中には
いくつかのプラムヴィレッジの歌が流れていました。

ひとつは、
ナモバロと呼ばれる
観自在菩薩のチャンティング。

もうひとつは、、、
No coming, No going
「来らず、去らず」
です。

・・・・・・・・
〈No coming, No going〉

「来らず、去らず」



No coming, No going
「行く」もない「来る」もない

No after, no before
「未来」も「過去」もない


I hold you close to me
君を 抱き寄せ

I release you to be so free
君を 手放す

Because I am in you
ぼくは 君の中にいて

And you are in me
君は ぼくの中にいるから


Because I am in you
ぼくは 君の中にいて

And you are in me
君は ぼくの中にいるから
・・・・・・・・


このとき、

I release you to be so free
君を 手放す(自由であるように)

という歌詞が、わたしには救いでした。

なくなった存在を「手放す」ことの中には
なぜか罪悪感や怖れ、
色々な感情が混じってしまうのだけど

to be so free「自由であるように」

そして、「愛しすぎない」というのは、
こういうことかなぁ、と、、。

さくらが全ての場所に
存在するようになったと感じたのは、
翌朝、とても不思議な感覚を体験したからなのですが

じつのところ、
今でも時々、実体が喪われた、と
感じてしまうとき、
喪失感はもちろん、あるのです。

(あぁ、あのとき、モモとさくらと
一緒にあそこで跳ねてたなぁ、、と、
ふと過去に帰るときなど、、)

そんなとき、くちずさんでいます。

なぜか、このブログは本レビューのジャンルに
入っているので(笑)
そこから関心を持ってくださった方のためにも

さくらの旅立ちの際に
読みふけった本を紹介しますね。

(↑amazon プライムの商品の表示がされません
送料がこのリンクだとかかっちゃうみたいなので
お気をつけて!)



この2冊は、愛読書でした。

そのころ、どうしても読みたくなって
取り寄せた本も、あるのですが、、
それはまた、あらためて^ ^


りょうこ