子どものころから
無力感があって。

「わたしにはできない」

と思っていることが、たくさん、ありました。


それは、たくさん、たくさん、

現在進行形で、あるのですが、、笑


そのなかでも、

とにかく苦手なのが、お片づけ。


小学生の頃、机の引き出しの中のものを

ぜーんぶ出して、整理しよう、

と思って、ひっくり返したとき。



〈なにから、なにをすればいいの?〉



頭が真っ白になって、じっと固まってしまいました。


じっと、じーーーーーっと。

固まって、

うごけない。

固まってしまって。


〈どうしよう、、〉


と思ったときに、

父がやってきて

困っていることに気づいてくれたようで

「とにかく、種類をまとめたらいいんだよ」

と言って、さっさっ、と分類して、

引き出しに戻すのを手伝ってくれました。



すごく、ホッとして

すごく、びっくりしました。


「できる」人もいるんだなぁと。



祖母と母は、戦争のときに疎開して、

それまで豊かな暮らしだったのに

なにも「持てない」暮らしになったそうです。

それゆえか、「持つこと」は

楽しみになったのかもしれません。



わたしの傾向は

母から受け取っている気がします。



私は「片付けはできない」

「捨てることが大の苦手」でした。


でも、それは、努力や、

あらたに教えていただいたことから、

すこーしづつ変化して、

不要なものを  たくさん処分しました。



まだまだ、片付いてはないんだけど(笑

スペースは、すこし、できました。







「無力、ではないのかも?」


という部分だけは確かに変わってる。



たぶん、わたしは

死ぬまで


「変化する」という

よろこびだけは手にし続けるんじゃないだろうか?




変化することは、

優しいことだし

とても、たのもしいこと


わたしの変化は、

もしかしたら、母や、祖母の感じてきた

悲しみも、癒すのかもしれない、


なんて、思っています。


やっぱり、肉体を持つって、

生まれてきたって、

たのしいです。



小さな行動で、大きく変わる、

この世界って、

死んでるとき(生まれる前)

には味わえないんじゃないかな。



りょうこ