私が
「絶対に続けたい」と思っているのが
「農」や、「自然との関わり」です。
わたしは、色んなことに関心があって。
現代人らしく思考もたっぷり。
インスタントな望みも抱きやすい(笑)
ほっといたら家に引きこもって
本を読んだり情報を集めたり。
考えてばかりだと思います。
そう認識しているからこそ
「思う通りに〈必ずしも〉ならない」
農や自然の近くにいたいのです。
正直、面倒だし。
きつい面も多いのだけど。
できれば週に何回かは
「自分を手放す」
時間が欲しいのだと思います。

炎が思うように上がらないとき
いろいろと工夫したり観察していると
炎の本質がチラリと見えて
少しづつその本質が体感として身体に入ってくる
(まだまだ火の扱いは苦手なのですが!
薪ストーブもなかなか火がつかないです 笑)
燃える材料がある程度集まらないと
大きな炎にはならない
程よい風が吹かないと
炎は上がらないし広がらない
見た目は炎が上がっていなくても
ものすごく熱く燃えていて
少しも近づけないこともある
それを見てると
人間界の仕組みや
仕事も
その法則に従っているように見えます
入れ子のように
社会のなかにその法則はあり
私のなかに
その法則は
もともと、
あるのです。
なぜなら 私は、人間は
もともとは
自然だから

写真では見えにくいけど
日の当たったところから
霜は解けてゆく
私のなかにあるものも
時を得れば
解けてゆくのでしょう
あきらめでも
期待でもなく
「そのときは、来る」
ただ、そうなんだろうな
と思えるのは。
私の目の前に展開する
阿蘇の自然が
ただ静かにそこにあることで、
教えてくれているからなんだろうなあ
と、思うのです。
「絶対に続けたい」と思っているのが
「農」や、「自然との関わり」です。
わたしは、色んなことに関心があって。
現代人らしく思考もたっぷり。
インスタントな望みも抱きやすい(笑)
ほっといたら家に引きこもって
本を読んだり情報を集めたり。
考えてばかりだと思います。
そう認識しているからこそ
「思う通りに〈必ずしも〉ならない」
農や自然の近くにいたいのです。
正直、面倒だし。
きつい面も多いのだけど。
できれば週に何回かは
「自分を手放す」
時間が欲しいのだと思います。

炎が思うように上がらないとき
いろいろと工夫したり観察していると
炎の本質がチラリと見えて
少しづつその本質が体感として身体に入ってくる
(まだまだ火の扱いは苦手なのですが!
薪ストーブもなかなか火がつかないです 笑)
燃える材料がある程度集まらないと
大きな炎にはならない
程よい風が吹かないと
炎は上がらないし広がらない
見た目は炎が上がっていなくても
ものすごく熱く燃えていて
少しも近づけないこともある
それを見てると
人間界の仕組みや
仕事も
その法則に従っているように見えます
入れ子のように
社会のなかにその法則はあり
私のなかに
その法則は
もともと、
あるのです。
なぜなら 私は、人間は
もともとは
自然だから

写真では見えにくいけど
日の当たったところから
霜は解けてゆく
私のなかにあるものも
時を得れば
解けてゆくのでしょう
あきらめでも
期待でもなく
「そのときは、来る」
ただ、そうなんだろうな
と思えるのは。
私の目の前に展開する
阿蘇の自然が
ただ静かにそこにあることで、
教えてくれているからなんだろうなあ
と、思うのです。