まんじゅうこわい
みたいになってます(笑)

昨日はゲシュタルト療法を取り入れた講座で。
講座内で体験しました。

ゲシュタルト崩壊?で

弱っている投稿でした。

ゆうべはご機嫌斜め、
すごくイライラするのでした(汗)

しばらく、夢見が悪かったり、反応が出ることがあると聞いてました。

講座中、出そうとしてイマイチだしきれなかった私・・

夫に話を聞いてもらって、少しホッとしました。が。

判断力のいる会話になると
もう私は何も答えられない!と、
ビールのグラスを机にドン!
突然キレかかるというこわい妻・・

お風呂に入って
そうだ、発散するために、
水面を叩いてみよう。
と思ったけど。

夫に心配されるかも、と、
思うと、パシャパシャ程度しか、できなかった。

・・・むしゃくしゃしながら(笑)
ちょっと飲んだくれて(おい。)


朝起きると

あっ。
と気づきが降りてきたのです

昨日向き合った「怒り、嫌いな人」には
自分の肉体の苦しみが関わっている

(夏場の、休みがほぼない状況に、
さらに、もっと忙しくなってしまった場面があった)

私は、ものごとのリフレーミングは、
たぶん、割と得意で、
ずっと意味をとらえなおそうと努力してきたのです。

意味を知りたい、と、ひたすら、
考えてきました。

その過程で、肉体で感じた
不愉快さの回路が、
当時の不快な体調、怒りと重なって
強烈になっていったように思います。

で、これは解釈の一つです。

今までも、無数に解釈は重ねてきて・・・
それでは何も、解決はしなかったのです。

だからきっと、誰かの力になるためにと
解釈を伝えても、ダメなことは、あるんだろうなあ。

その未完了の感情に
肉体の記憶してる感情がのっかっているのなら
解釈では、「完了」「解決」しないんだなあ。

解釈は解決ではない。

これは大きな学びでした。

肉体の記憶を尊重する
そして、あるとき、解釈ではなくて、
ただ、手放せるときがくるはず。

いまのところは、
それ
があることを認めよう

人のことを嫌いな自分を
ひどい自分を
とんでもなく怒りん坊な自分を
肉体の声を無視してきた自分を。


(夫の手打ちうどん。ありがたや)