なんとなく不思議話になる感満点のタイトルです



はじめにお断りしておきますが 私は普段、妖精が見えたりはしません。


見えてそう~なんて言われたりするのですが、


その能力はないみたいです。(いまのところ!これから見えるようになるかもー ^^ )





「ん?」と思ったり、光でいっぱいの畑にいたりすると「宿ってる」という感じがしたり、


呼ばれたような気がしたり、ということはあります。



精霊、って言葉で表現すると、すごくスピリチュアルな感じですが、


そこに宿るもの、と解釈すると、日本人の八百万の神、という感覚では、


ものすごーく日常的な感覚だと思うのです。

お鍋をごとん!と落としちゃって、あっ、ごめんね!とかって言ってしまうこと
ありませんか?? ^^




先日、はっとしたことがありました。



サトル・アロマテラピーの本を読んでいました。


クリスタルについて書いてあったなぁと本を開いたのです。



そしたら、クリスタルを精油の付属物のように扱わないこと、


それぞれにはディーヴァがいます、というようなことが書いてありました。



そこを読んだ瞬間、鳥肌が立ちました。



私は、魂の部分での気づきがあったり、メッセージがあるときなどは

鳥肌が立つことが多くて、

「ああ、私は、このところ、そんな風に植物も、家も、世界も、


大切にその存在を認めて、つきあっていなかった」


と思ったのです。





それで、ハーブを収穫するときにハーブの存在そのものを感じて


感謝をしながら作業したり


忙しさにまた義務的になったり・・・が、この数日でした。




でも、なんとなく感覚を閉じてしまう。

背後にあるものに、今朝、気づきました。



それは、罪悪感でした。


世話をしきれてない植物たち



精霊の呼び声にこたえられていない



そして、何よりも。


過去から握りしめている信念。



「私にはできない」


という強い諦念のようなものがあるのです。



それは、子ども時代の痛みが残っていて


「資格がない人間だ」


という 自責の念が私の根っこにあるということが


くっきりと見えました。



そしたら、浮かび上がってきた子どもの私が


思いっきり、しょんぼりしていて・・・・


現在の私は朝から割と元気だったのに


しだいに しょぼーん、と。






(向かって右の方に彩雲が見えたのですが・・うまく写せませんでした)


「私にはできない」と思ったことが


過去であり幻であることに気づける今。



しっかりと子どものころの私を受け止めてやろう。



ああ、こんな時間です!


隣の林でアナグマの足音がします。



ディーヴァたちに、夢のなかで、あえるかな。

まだ、会えないかもしれないな。