連投すみません。書くときは怒涛です ^^;
「純化」という言葉を使ったのは、卒論の時でした。
私が書いたのは、中勘助の『提婆達多』を中心とした印度三部作でした。
中勘助というと、『銀の匙』という美しい作品で知られる作家ですが、
『提婆達多』は、シッタルダ・・・仏陀に嫉妬する 提婆達多の、醜悪な心理を描いた作品です。
なぜ、中勘助がその醜悪な心理を描いたか・・
中勘助 本人の心の中にいる、提婆達多を書き表すことによって、
人間そのものの姿として「純化」するのだ、というのが私の書いた論文でした。
口頭試問では、もじもじしてしまって、教授をがっかりさせたのですが、笑
その「純化」の視点だけはなぜかほめられたのでした。
さて・・・私にとって、書くこと、は「純化」の作業だと言えると思います。
罪の意識、諸々の想い。
書き出すことによって、自分を整理していく。
ある意味では、罪ある存在であっても、書くという作業で、
その存在を 許すということかもしれません。
今日は家族が不在なもので、連投でした ^^
読んでくださった方、ありがとうございます!