二週間ほど前、『カンタ!ティモール』という映画を観ました。
とても笑顔にあふれた映画なのだけど
ただ笑える映画でもなく
東ティモールのひとたちの悲しみと
叡智ともいえる言葉に満ちている、
美しい自然、そして、歌も。
東ティモールは独立まで24年間
インドネシア軍の攻撃を受けてきました。
資源のない日本にとっては東ティモール北の油田が魅力
インドネシアに対して経済支援を続けていました。
つまり日本人である私が
東ティモールの人たちを殺したともいえる・・・。
東ティモールの人たちが
筆舌に尽くせないひどい仕打ちを受けた、
家族は殺され 家は焼かれた
それなのに東ティモールの人は、言いました。
「インドネシア軍に、悲しいけれど、怒ってはいない」
みんな大地の子どもで、兄弟だ
と。
その24年間は私の呑気で豊かな人生と重なっているのです。
2002年独立、ついこのあいだです。
その後も、攻撃を受けたのです。
第二次世界大戦中には日本軍が東ティモールを占領していました。
私のなかで、日本人という「社会的な生き物としての私」が激しく苦悩しました。
一方、
「大地の上に生きる生き物としての私」は
どこかで
大地の子どもだ、ということは映画を観ながら、
考えるより前に「感じた」ことでした。
そのことを感じている自分に対しては
とても安定した感覚を抱いていました。
(でも、思考が私を苦しめていました。)
すごく心に残ったのが
「ルリック」という 「神」を表す言葉
農家の生活のなかには「ルリック」の働きを感じることが多々です。
植物が葉を展開し花をつけ実をつける
それは「ルリック」の働きとしか思えないのです。
それは、いつでも、どのような場所でも働いている
時にはドラマティックに時には静かに、
見えることもあれば見えないこともある。
私も自然の一部
東ティモールの人たちと 同じ。
私のなかにも、そのシステムが働いている。
そう感じること
その安心感は私にとって
希望でもありました。
「小さき者たちの声を聴くこと、それを忘れないように」
そう、私は畑にいる、小さき者たちの声が
ちゃんと聴けているだろうか・・・。
自問しながら
そこはちょっと苦しいのです。
だけど、また、思うのですが。
ルリックは、
決め付けたり裁いたり
正しい、間違っているではない
そこにある条件の中で
ただ、み働きがある
そんな風にも思うのです。
単にその種をまけばその芽が出てその結果となる。
そのようなことなのかなあと。
私が自分を責める必要は、ないのかもしれない・・・
ただ、知る必要はあるかもしれない。
日々に追われ
書き記すこともできず
気持ちの整理もできないままでしたが、ようやく書けました。
書ききれないのですが・・・。
今日は、私の中にある、安定を見つめよう。
大地の子どもとしての私でいよう。