大きい声では言えないけど。
また接点があったらよろしくお願いします。
私はもう数年頑張ります。」
メールを開いた瞬間、
“これ以上、関わるつもりはありません”という声が、
やさしい言葉の仮面をかぶって届いた気がした。
便利な言葉だと思う。
「色々と難しい」って。
そう言えば、何も言わなくても済む。
誰も責めずに、自分も責められない。
“中立”という名の安全地帯。
だけど、あの一言の下には、
見て見ぬふりの年月と、
誰かの沈黙の上に築かれた安心が積もっている。
「大きい声では言えないけど」
つまり、言う気はないということ。
真実は知っていても、
声を出すほどの勇気も、
もう立場もない。
それでも、「わかってますよ」と言いたげなトーンで
こちらを“理解している風”にまとめてくる。
そのやさしさが、いちばん冷たい。
「私はもう数年頑張ります。」
そうですか。
どうぞご自由に、あと数年、
その“難しさ”の中で頑張ってください。
私はもう、その世界から降りましたので。
「難しいですよね」という人は、
だいたい、“楽”な方を選んでいる。
声を上げる人を「難しい」と呼び、
黙る自分を「賢い」と呼ぶ。
けれど、誰かの痛みを見ないようにすることほど、
簡単なことはないのだ。
あのメールを読んだ夜、
ふと思った。
“難しい”のではなく、
“ずるい”だけなのではないか、と。
「色々と難しいですよね」
その言葉の裏には、いつも沈黙を選んだ人の都合がある。
そう気づいたとき、
やっと少し、楽になった。
