自分軸(自己責任)の生き方より他人軸の生き方は辛くなる
他人軸、外側軸の生き方とは、これまでの時代で当たり前だった生き方です。
何か不都合なことが起きたとき、誰かや何かのせいにし、他人や外側に責任を押し付ける生き方です。
誰々のせい、会社のせい、国のせい…
この生き方を人類は当たり前にしてきました。
いじめやハラスメントの加害者など、他人を虐げたがる人は、この他人軸の生き方です。
相手に非があるからだと相手のせいにし、自分がしてることを正当化したがります。
他人軸の生き方は一見、楽な生き方のようです。
自分の心の負や心のゴミを他人に押し付けられ、その一時は楽でしょう。
ですが、結局辛い生き方になってしまいます。
他人のせいにするほど、理不尽度が増していく
なぜなら、理不尽度が増してしまうからです。
誰かや何かのせいにできれば、確かに心情的には楽な面はあります。
その代償に、理不尽度は増します。
誰かや何かのせいにするということは、誰かや何かによって自分は不快な思いをしたということになります。
自分ではどうしようもなく、他人や外側という外的なコントロールできない要因により、自分の状態が決まってしまうという信念です。
自分ではなく他人や外側に主導権があり、自分の状態を左右されるわけです。

それは、理不尽ということです。
誰かや何かのせいで自分は不快な状態だと定義するのは、理不尽な目にあってることになってしまいます。
誰かや何かのせいにするのが多く、癖になり当たり前になっていくほど。
「現実に起きることは自分ではどうしようもない。現実は理不尽なものだ」
という信念が強くなっていきます。
そしてそれが現実化していきます。
例えばコロナ問題にしても、政治のせい、国のせいとすれば、政治や国が悪いから不条理で理不尽な目に遭っているということになります。
理不尽な思いは、怒りや不平不満を生んでいきます。
他人のせい、他人や何かが悪い、他人や何かに責任があるという信念が強いほど、理不尽度は日々年々増していき、怒りや不平不満が鬱積していきます。
加害者側を繰り返す人は、怒りを原動力にしてるイメージがあります。

他人からはそう見えなくても、内面は理不尽度が高いので怒りや不平不満が積もり、本人もわからない怒りが溜まっているのでしょう。
その潜在的に溜まった理不尽な怒りを自分でどうしようもできず(自己処理や自己コントロールできず)、他人への攻撃や虐げに向かわせてしまうのかなと想像します。
他人軸の生き方は楽な面はありますが、理不尽度が増していくので、結局辛くなっていきやすいです。
※これは加害者側になりやすい人だけでなく、被害者側の人も同じです。
他人のせいと他人軸の生き方でいれば、理不尽度は増していきます。