主人の内科定期検診へ付き添いました。
血圧は標準より少し高めですが診察して
浮腫みもないし脈も正常だったので
またいつもの薬をもらい二カ月後を予約して来ました。
主人は先生の話し方が早口なので聞きとれないからと
私に聞いていてと心配しています。
確かに早口で聞き取りにくいかもしれないけれど
ちゃんと聞く耳を持って聞かないと駄目よと、
小さな子供に言い聞かせるように言いましたが、
聞いているのか?殆ど私と先生の会話になっていました。
薬局へ行っても車の中で待っているだけ、
暢気なものです。帰宅するとありがとう。
お世話になりましたと言うので許してあげました。
私も主人の年になれば娘に依存しているのかなと
ふと思いました。
娘からのリクエストに応えて朝、主人に
スナップエンドウの実の大きそうなのを
選び剥いて貰い200㌘になるようにしました。
帰宅後豆を塩ゆでにして圧力鍋でゆで汁と昆布、お酒を入れて
豆ごはんを炊きました、炊き上がりに茹でた豆を後から入れたので
緑が綺麗で美味しく炊けました。
娘はグリンピースは豆がパサパサした
食感が嫌だからスナップエンドウで作って欲しいと
言い出来上がりを食べて見た感じは確かに豆が柔らかく
パサパサした食感は無く正にエンドウでした。
私はどちらも好きだから何も違和感は感じませんが、
娘は喜んでいました。誰も家族は食べないので
一人分だけ持たせました。
今朝の新聞から
大相撲の陸奥親方は初代の霧島を名乗った現役時代、
大関からの陥落を経験した。
若貴兄弟が伸びてきた平成初期の話。
陥落後に土俵を務めていると、
浪人生や失業者ら逆境の人たちからの手紙が増えた。
筋肉が動かなくなる進行性の難病の人は
「これが私の書ける最後の手紙になるかもしれません」と
断った上で「あなたは、私にたくさんの生きる勇気を
与えてくれました」とつづっていたという。
くじけぬ姿に共感してくれている人がいるー。
陥落して見えてきたものもあると著書で明かしている。
腐らず頑張った2代目の現霧島に励まされた人も多かろう。
春場所で久々に優勝し、初代が果たせなかった
大関返り咲きを確実にした。復帰は12場所ぶり。
今のかど番制度になった1969年名古屋場所以降、
平幕以下に落ちてから返り咲いたのは他に魁傑と
照ノ富士しかいないのだから大したものだ。
初代は陥落当時、給料や突け人の減少など大関「特権」
の喪失に気がめいったそう。元霧島も待遇の変化に
「落ちるとこうなるのかと。悔しかった」と語っている。
不調をもたらした首の怪我が癒えるのを待ちつつ、
けいこに励む日々で何かをつかんだのなら、
最高位も夢ではないのかもしれない。
不屈の日々を語った初代霧島の著書の名は『踏まれた麦は強くなる』。
その通りだなと、うならせるような土俵を
2代目に期待する。
お立ち寄り頂きありがとうございます。
明日も素敵な一日になりますように!
おやすみなさい。









