けさのお月様
今朝咲きました。
今日は温かい一日でした。
私の大学病院の眼科、定期検診予約日です。
午後1時予約なので、早目に出て、
イオンモールにて買い物、ランチの予定で
下孫も今日は学校が休みなので娘の運転で
3人で出掛けました。
三人共それぞれ衣類の買い物を済ませ、
早目のランチをして、
孫がタコ焼き大好きで、牛丼の他に注文して、
食べれるのと聞くと食べれると言いながら、
食べ切れなくて二人でフーフー言いながら
食べていました。
13時から瞳孔を開く目薬をして視力検査、
眼底検査他に色々な検査をして
1時間くらいかかり、帰りにはコストコに
より買い物して来ました。
19時頃の帰宅でまだ目がぼやけています。
17年間通いその内10年くらいは9カ月に一度の
検診でした、あまり進行していないので、
遠くから通うのも大変だから、地元の病院へ、
紹介状を書きますから又何かあった時には
来なさいという事になりました。
白内障の心配はまだないとの事、
主人も80歳過ぎてから手術したので、
もう少し大丈夫そうです。
帰りの夕焼けが綺麗でした。
今朝の新聞から
井上陽水さんの『傘がない』は1972年の発売。
歌詞は、都会では自殺する若者が増えていると
新聞に出ようが、テレビで誰が深刻な顔をして
わが国の将来の問題をしゃべろうが
〈問題は今日の雨 傘がない〉と書かれる。
逢いたい人がいるのに傘がない問題は、
報じられる話より優先されると語る曲は当時の若者の
思いを示したといわれる。公より私。
60年代後半以降の学生運動の熱は既に冷めていた。
世の支持を失い孤立した勢力は先鋭化。
72年のあさま山荘事件、74~75年の
連続企業爆破事件などが起きた。
末期がんで神奈川で入院した男が、連続企業爆破事件の
一つに関与したとして指名手配されていた過激派、
桐島聡容疑者(70)だと名乗りでた。
「最後は本名で迎えたい」と話したらしい。
警察の事情聴取に事件について語ったが昨日、
死亡した。
広島の実家とも連絡を絶ち約半世紀に及んだ逃亡。
長く「内田洋」の名で神奈川の工務店に住み込みで
働いたという。
事件には共感しないが、最後に本当の「私」に
戻った真意は気になる。
過激派には自身の「正義」を疑わぬ人も多く、
俺は逃げ切ったという警察への勝利宣言とみる向きも。
そうかもしれぬが、それだけだろうかとも思う。
陽水さんは〈行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ〉と
歌っていた。
桐島聡として、刑事以外に逢いたかった人は
いたのだろうか。
お立ち寄り頂きありがとうございます。
悪い事をしてはいけません。
末期がんになり最後は本名で迎えたいと、
最後まで自分の事しか考えていない生き方。
もう少し早く罪を償い最期を終わろうと
いう気持ちになって欲しかった。
明日も平和な一日でありますように!
おやすみなさい。











