「Marvin Gayeの悲しげなソウルに リズム合わせてゆけば この街でまたひとつ誰かの愛を失いそうさ」
1981年の秋、当時、中学生だった私がNHK-FMの「夕べのひととき」からカセットテープに録音した佐野元春のニュー・シングル「ダウンタウン・ボーイ」にはこのような歌詞があった。私はラジカセを何度も一時停止したり、時々は巻き戻しもして、この歌詞を聴き取って紙に書き写していた。「マーヴィン・ゲイ」という単語がなにを指すものなのか、当時の私は理解していなかったが、おそらく「悲しきRADIO」における「ジーン・ビンセント チャック・ベリー リトル・リチャード バディ・ホリー」のように、佐野元春がリスペクトするアーティストの名前なのだろうとはなんとなく思った(ついでに記録しておくと、「ゆけば」のところは「Get Back」だと空耳していた)。
松本人志と浜田雅功からなる漫才コンビ、ダウンタウンは1982年に結成されたようだが、初期はこの佐野元春の「ダウンタウン・ボーイ」を出囃子に使っていたという。この年、マーヴィン・ゲイはアルバム「ミッドナイト・ラヴ」から「セクシャル・ヒーリング」を大ヒットさせ、現役のヒット・アーティストとして、高校生になっていた私にも身近な存在となった。打ち込みを使用したR&Bであり、「ベストヒットUSA」で流れたプロモーション・ビデオ(当時はミュージック・ビデオのことを主にこう呼んでいた)はタイトルにもあるように、セクシュアルなイメージが強調されたものであった。さらにあろうことか、曲の一部が卑猥な日本語に空耳できるということで、「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」の「この歌はこんな風に聞こえる」で取り上げられたりもして、そのエロイメージはさらに強化されたのであった。翌年、マーヴィン・ゲイが父親から射殺されたというニュースを読んだ。
1985年、高校を卒業し、文京区千石の大橋荘に住みながら水道橋の研数学館に通っていた頃、ウォークマンが欲しくなって池袋のビックカメラ(テレビではハーフタレントのマリアンが「みんな行け行け、池袋~」とシャウトしていた)で買ったのだが、ついでに聴くためのカセットテープでもと思い、西武百貨店のディスクポートでモータウンのコンピレーションを買った。No.1ヒットばかりを集めたというこのカセットには、マーヴィン・ゲイの曲もいくつか収録されていた。都会的なサウンドと甘いヴォーカルがとても魅力的だと思ったのだが、その頃は歌詞の意味やそこに込められたメッセージについてまではよく知らなかった。
大学生の頃、ポップ・ミュージック史や名盤ガイド的な本を読んだり、気になった作品をCDで買ったりしているうちに、1971年にリリースされた「ホワッツ・ゴーイン・オン」に出会うことになった。このアルバムからはタイトル・トラックが全米シングル・チャートの1位を記録していて、1985年に私が買ったコンピレーションにも「愛のゆくえ」の邦題で収録されていた。「マーシー・マーシー・ミー」「イナー・ソウル・ブルース」もそれぞれ4位、9位とヒットを記録している。「イナー・シティ・ブルース」には聴き覚えがあると思ったのだが、その数年前に買ってわりと気に入っていたワーキング・ウィークのアルバムに収録されていた曲のオリジナルだったのだ。
音楽的にひじょうに洒落ていてヴォーカルも魅力的なのだが、その内容はベトナム戦争をめぐるアメリカ社会の混迷や人種問題といった、きわめてシリアスなものであった。ポップ・ミュージックというフォーマットでこのような表現ができるのかと衝撃を受けたのだが、それは当時、私が熱心に聴いていたパブリック・エナミーなどのヒップホップにも通じるように思えた。日本語でもこのような表現が可能だと私に知らしめてくれたのが1989年にリリースされたいとうせいこうの「MESS/AGE」だが、このアルバムの終盤では「ホワッツ・ゴーイン・オン」がカヴァーされていた。
名盤ガイド的にはマーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」の後に取り上げられがちなのが1973年の「レッツ・ゲット・イット・オン」で、これもタイトル・トラックが全米シングル・チャートで1位を記録しているのだが、内容は性愛に特化したもののように思える。これは後の「セクシャル・ヒーリング」にも通じるものでもあり、このアーティストにはシリアス路線との二面性があるのだと、なんとなく感じていたのであった。
今回、マーヴィン・ゲイのニュー・アルバムが死後35年の年にしてリリースされたのだが、これはまた生誕80周年を記念するものでもあるという。マーヴィン・ゲイが生まれたのは1939年4月2日で、亡くなったのが1984年4月₁日である。よくある未発表曲やデモ・トラックをコンパイルしたものではなく、これは1972年にリリースされる予定でレコーディングされたアルバムだという。収録曲のいくつかは過去にボーナス・トラックやコンピレーション・アルバムで発表されていたようなのだが、このようにアルバムというかたちでリリースされるのは初めてだという。
タイトルは「ユーアー・ザ・マン」で、タイトル・トラックは先行シングルとして1972年にリリースされていた。つまり、「ホワッツ・ゴーイン・オン」がヒットしたすぐ後ということになる。しかし、このシングルは全米シングル・チャートの最高50位までしか上っていなく、当時、作品のクオリティー的にもセールス的にも1つのピークを迎えていたマーヴィン・ゲイにしてはひじょうに低い順位である。作品として劣っているのかというとそんなことはまったくなく、シリアスなメッセージを優れたポップ・ミュージックにのせて歌うという「ホワッツ・ゴーイン・オン」の路線をさらに推し進めたものである。この曲の内容は当時のアメリカ大統領選挙に絡め、政権を痛烈に批判したものであった。モータウン・レコードの創設者で最高経営責任者であったベリー・ゴーディがこれを快く思わず、プロモーションをじゅうぶんに行わなかったことが、チャートでの低迷の原因だともいわれているようだ。そして、マーヴィン・ゲイはこのような結果を受けて、アルバムの発売を中止したのだという。
そして、ついに日の目を見たこのアルバムだが、当時のマーヴィン・ゲイのクリエイティヴィティーの充実ぶりが反映された、素晴らしい音楽で溢れている。そのメッセージは今日の社会においてもじゅうぶんに有効であり、それはある意味において不幸なことでもあるのだが、たとえばクリスマスに家に帰ろうという内容の曲にしても、純粋にクリスマス・ソングとしても機能する一方で、ベトナム戦争に対する激しい怒りが根底にあるようにも感じられる。全17曲、約1時間9分というボリュームだが、まったく飽きることがなく、ヴィンテージ感があるのと同時に、リアルでヴィヴィッドでもある。「ホワッツ・ゴーイン・オン」のような統一感に欠けるところはあるのだが、それでも実に充実した音楽体験を得ることができる極上のアルバムであることには変わりがない。収録曲のいくつかで、エイミー・ワインハウスなナズなどの仕事で知られるサラーム・レミがリミックスを行っている。
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