テーマが『大いなる妄想』に鳴っている時は、文字通り、私の夢とかネタとかいった妄想を書き散らしておりますので。
で、本題。
『ダ・ヴィンチ コード』にテレビが便乗して特番を組んでいました。
チラッとしか見ていないけど、たまたま見たところで、テンプル騎士団の話が出てきたのだが・・・
・・・弾圧から逃げ延びた者がスコットランドのある教会に聖杯を隠した、とか言った後、『最後の晩餐』に聖杯が書かれていないのは、聖杯は物ではない、とダ・ヴィンチが知っていたから、とのたもうた。
・・・つまり、聖杯は『者』である、と言いたい訳らしい。
とっさに私が考えたのは、絵の方の聖杯はマグダラのマリアの子宮、テンプル騎士団の方はイエスの子孫、というもの。
『血を受けた器』だからね。
で、しばらくボーっとしていたら閃いた。
テンプル騎士団が弾圧されたのはイエスの子孫を利用したから。
担ぎ上げたにせよ、その者の才能を遺憾なく発揮させた(悪く言えば利用したとも言う。だが、保護して讃えて、の方で)にせよ、ヴァチカンの怒りに触れるのは当然な訳で。
・・・まあ、血に頼った時点でテンプル騎士団の末路は見えていただろう。知識と知恵は血ではなく魂によって継がれるものだから。(だから、聖職者は妻帯せず、弟子を養子扱いにしていた、と私は推察する。)
で、『隠した』の意味。
テンプル騎士団の時代から考えて、イエスの子孫はそれなりの数は居たはず。
その中から有能な者を集めて、としても、複数は居た可能性はある。
で、弾圧を逃れてスコットランドへ脱出したのも複数居てもおかしくない。(一人かもしれないが。)
昔は王族・貴族の子弟が家督などの継承争いに敗れたり、巻き込まれたくないために僧侶や神官になることが多かった。(政は聖である、という考え方から行くと、こうやって権力を保っていたとも考えられる)
つまり、逃げた先の教会に司祭なり何なりの職に付いた可能性がある訳だ。
で、その子孫の子孫は、というと・・・
・・・聖職者ということで可能性は低いが、居ないとも言い切れないな・・・。
では。