鶴岡りさです。

 

 

 

 

昨日、今日と

熊本地震のニュースに

胸が締めつけられました。

 

 

被害に遭われた方、

不安な時間を過ごされている方々が、

少しでも安心できる時間を取り戻せますように。

 

 

昨晩は、地球へ愛を送る
祈りの瞑想をしました。

 

被害に遭われた方々や、
不安の中にいる方々のもとへ、
少しでも愛と安心が届くことを願いながら。

 

 

 

 

 

 

 

そんな中で、改めて感じたことがありました。

 

 

 

 

 

それは、

 

「心配すること」と「祈ること」は、

似ているようで少し違う。

 

ということです。

 

 

 

 

大切な人が悩んでいたり、

苦しんでいたり、

思うようにいかない姿を見ると、

 

 

 

「大丈夫かな」

「傷ついていないかな」

 

 

と、”心配”になることがあります。

 

 

 

 

もちろん、心配するのは、

その人を大切に思っているからこそ。

 

 

 

 

 

 

でも私は、

 

心配よりも「祈り」

大切にしたいと考えています。

 

 

 

 

 

 

心配しているとき、私たちの意識は、

 

「悪いことが起きるかもしれない」

「この人は大丈夫ではないかもしれない」

 

という未来に向いています。

 

 

 

もちろん、それも一つの愛の形であって

ダメなものではないと思っています。

 

 

 

 

 

 

一方で、祈るというのは、

 

「きっと大丈夫」

「きっと乗り越えられる」

 

と、相手の中にある力や

可能性を信じること。

 

 

 

 

 

わかりやすく言うと、

 

心配

「悪いことが起きたらどうしよう」

 

祈り

「どんなことが起きても、きっと大丈夫」

 

 

 

 

心配

相手が乗り越えられるか不安に思う

 

 

祈り

相手の力を信じる

 

 

 

 

 

 

 

心配は、転ばないように手を握ること。

祈りは、転んでも立ち上がる力を信じること。

 

 

ということなのかもしれないなと。

 

 

 

 

もちろん、

手を差し伸べることが必要な場面もあります。

 

 

でも、

 

私たちは相手の人生を

代わりに歩くことはできないから。

 

 

 

 

 

だからこそ、

その人が自分の力で

立ち上がれることを信じながら、

 

必要なときにちゃんと

手を差し出せる自分でいたい。

 

 

 

 

そう思います。

 

 

 

祈りは、相手の人生そのものを信じる愛。

 

 

 

 

 

かといって、

心配をゼロにする必要はありません。

 

 

 

 

でも、心配が大きくなりすぎたときは、

 

少しだけ、

 

「もっと、相手の力を信じよう」

 

と、思ってみる。

 

 

 

それもまた、

大切な人を愛する一つの形だと

私は思っています🕊️

 

 

 

 

 

必要な支援が必要な方へ届き、

穏やかな日常が戻りますように。

 

 

 

心から祈っています。